理事長

右田 孝雄  Takao Migita

2016年7月20日に「悪性胸膜中皮腫、平均余命は2年」との宣告を受ける。発症後、ブログ「悪性胸膜中皮腫と言われてどこまで生きられるかやってみよう!」を開始。2017年6月に「中皮腫・同志の会」を結成。2017年9月以来、共同代表の故・栗田英司らと、「中皮腫サポートキャラバン隊」として全国で患者自身としての体験を語る講演会を開催。2018年より中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会全国事務局、日本肺癌学会ガイドライン検討委員会(ガイドライン検討統括委員会)胸膜中皮腫小委員会外部委員

患者と家族の皆さんへ

中皮腫患者の方々に「笑顔で元気になってもらおう」とお会いしていく中で、私がその方々から「元気をもらっている」ことに気づきました。これからも元気でいる限り、この活動を続けていきます。

副理事長

平田 勝久 Katsuhisa Hirata

2018年8月に腹膜中皮腫の診断を受ける。9月よりシスプラチン+アリムタ+アバスチンを入院にて6回投与。その後、アリムタ単剤での治療などをしている。発病前から会社の代表取締役を務めていたが、2020年3月には辞任し、現在は中皮腫サポートキャラバン隊で活動を行っている。手記に「悪性腹膜中皮腫になって思うこと」。

患者と家族の皆さんへ

患者同士、交流を深めながらお互いに頑張っていきましょう。

理事

渡邊 益孝 Yoshitaka Watanabe

2010年12月に悪性胸膜中皮腫を発症。アリムタ+シスプラチンの2剤併用で化学療法を2クールしたのち、左胸膜肺全摘、横隔膜・心膜再建、第六肋骨除去の手術をした。術後、28回の放射線治療を実施。2011年9月には職場復帰し、現在も仕事をしている。2020年より、日本肺癌学会ガイドライン検討委員会(ガイドライン検討統括委員会)胸膜中皮腫小委員会外部委員。講演に「悪性胸膜中皮腫発症9年目になりました-治療と復職の実際-」。

患者と家族の皆さんへ

術後、仕事に復帰したことはもちろん、水泳・山登り・草野球・ゴルフ・30キロウォーキング・ひとり旅などを楽しみながら生活しています。中皮腫治療や療養生活は人それぞれですが、一患者の経験として何かを伝えていければと思っています。

中島 喜章 Yoshiaki Nakajima

2017年1月に悪性腹膜中皮腫と診断され、2月からシスプラチン+アリムタ併用療法を6回、その後、アリムタ単剤療法を62回受け、2021年6月からオプジーボの治験に参加しています。1993年4月から内科診療所を行って来ましたが、2017年2月末で閉院し、2018年4月から診療所を借りて下さる先生があり再開院していただき、私自身は11月から介護老人保健施設に勤務させていただいております。

患者と家族の皆さんへ

呼吸器内科医の研修を受け、開業後は総合内科医とし外来・訪問診療を続けて来ましたが、中皮腫については知らない事ばかりでした。キャラバン隊で多くの方々から色々なお話を伺い、沢山の事を知ることが出来ています。これからも皆で安心して病気療養を送れる様に微力ですが参加できればと思っております。

影山 小百合 Sayuri Kageyama

2018年10月に主人が悪性胸膜中皮腫と診断され抗がん剤、胸膜剥離術、オプジーボ治療を頑張りましたが2021年11月に主人は逝去しました。

2019年からキャラバン隊に出会い、患者を支える家族として活動してきました。家族として、不安な思いや吐き出したい気持ち同じ思いをしているご家族の支えに少しでもなれれば幸いです。 

患者と家族の皆さんへ

今は遺族になりましたが、患者さんを支えるご家族の力になれればと思っています。

専務理事

松島 恵一  Keiichi Matsushima

2010年に67歳の母親が3ヶ月の療養期間ののち、胸膜中皮腫で他界。のちに、母親が勤務していた会社や国の責任を問う裁判を起こした。2017年より中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会副会長。同年7月には英国各地のアスベスト被害者団体が共同開催をした「中皮腫の日(アクション・メゾテリオーマ・デー)」を視察。                                 

患者と家族の皆さんへ

4人の孫にも恵まれて元気に暮らしていた母は、突然の背中の痛みを訴えた後わずか3ヵ月で亡くなりました。病名の説明と余命宣告が同時という、とても受け入れがたい状況はただの悪夢でしかありませんでした。家族としての経験をもとに、患者さんのご支援に生かしていきたいと考えています。

運営委員

田中 奏実 Kanami Tanaka

2008年、18歳のときに胸膜中皮腫を発症。左肺の胸膜外肺全摘術をしたのち、抗がん剤治療と放射線治療を実施。現在は無治療で経過観察をしながら、仕事をしている。2016年に出版された『北海道でがんとともに生きる』では、執筆者の一人として制作に協力。2017年より、中皮腫サポートキャラバン隊の一員として北海道から九州まで全国をまわり講演活動をしている。2019年には韓国で、同国や香港の若年中皮腫患者との交流も図った。

患者と家族の皆さんへ

中皮腫になり、それまでに夢見ていた進路や仕事も断念することもありました。キャンサーサポート北海道でのボランティア活動などを通じて、「がんはハンデじゃない」という考えを持つことができました。私の治療の経験や病気との向き合い方を皆さんにお伝えする中で、少しでもお役に立てれば嬉しいです。

鹿川 真弓 Mayumi Kagawa

2004年6月26歳の時に悪性腹膜中皮腫と診断され、ジェムザール+シスプラチン化学療法を行い、2007年に手術。その後、仕事にも復帰したが2017年に再発し2回目の手術。その後はドセタキセル+シスプラチン化学療法を57クール実施。2022年息苦しさか続き検査で胸膜浸潤か分かり、オプジーボを4回したが副作用が出て断念。胸膜癒着術を2回行い、2023年4月より、アリムタ+カルボプラチンを仕事しながら、治療を続けている。講演動画『腹膜中皮腫闘病15年 南の島・沖縄から 絶望から希望へ』。                                             

患者と家族の皆さんへ

沖縄では『なんくるないさ』という言葉かあります。意味は『どうにかなるさ』
私はこのなんくるないさ精神で、前向きに頑張っていこうと思っています。
どんな小さなことでも目標をもって、前向きに楽しく過ごせていけたらと思っています。

尾上 一郎 Ichiro Onoe

2017年8月に悪性胸膜中皮腫(肉腫型)の診断を受ける。手術はできないとの主治医の判断から、約1年間は抗がん剤治療(アリムタ +シスプラチンなど)をしたのち、免疫療法(オプジーボ)を現在(2020年4月中旬)まで39クール実施。講演活動を通じて、自身の体験を伝えている。                                         

患者と家族の皆さんへ

「生きてるだけで丸儲け」の気持ちを持ちながら、現在の治療がこれからも効いてくれることを願って気合いと根性で暮らしています。何がなんでも腫瘍をやっつけて、不死身でいなければ!という強い気持ちを持ち続けています。

青山 和弘 Kazuhiro Aoyama

2015年6月に受けた健康診断をきっかけに、腹膜中皮腫の診断を受ける。手術で腹膜の一部と腸の6割を切除した。現在は介護関連事業所の社長を務めながら中部地域を中心に中皮腫サポートキャラバンなどで自身の体験などを伝える活動をしている。過去の講演に「中皮腫患者の介護保険制度の利用について」がある。メディア掲載記事に「中皮腫と闘い患者支援(岐阜新聞)」など。

患者と家族の皆さんへ

中皮腫は長い潜伏期間を経て誰でもなり得る病気です。皆が自分の問題だと受け止めてくれたら、と思っています。

宮永 都志也 Toshiya Miyanaga

2019年12月に発症、2021年2月に悪性胸膜中皮腫の確定診断を受ける。
既に縦隔リンパ節にも転移しており、ステージⅣであった。
シスプラチン+アリムタを6クール行い、その後、オプジーボを11クール行うが奏功せず、当時の主治医からこれ以上打つ手が無いと言われ打切りとなる。
セカンドオピニオンを経て2022年11月に現在の病院に転院。縦隔リンパ節への放射線治療をしオプジーボを5コース行うが奏功せず。2023年3月に脳に転移が判明。脳腫瘍への放射線治療を行うと共に、中皮腫にはカルボプラチン+ジェムザールを4クール実施。8月よりカルボプラチン+アリムタに変更し治療を続けている。

患者と家族の皆さんへ

中皮腫患者にとって病院の選択は重要です。私も今の病院が4つ目です。疑問があればセカンドオピニオンを受けることは大事です。何度も奈落の底に突き落とされましたが、今の病院の主治医から諦めない気持ちを教えられました。諦めない気持ちを皆さんと共有出来たらと思います。

仁科 裕明 Hiroaki Nishina

2022年9月2日に「中皮腫・上皮型」(胸膜のがん)の確定診断を受ける。
腫瘍が肋骨に巻きつき、一部は肺に食い込んでいたので手術できるか微妙な状況で、東京、関東方面では自分の納得できるP/D手術(胸膜剥皮術)の実績が豊富な医療機関が少ない為、西日本での治療を決意して福岡(北九州)の大学病院に転院する。
2022年9月から2023年2月までオブジーボ+ヤーボイのファーストラインで治療を行うが奏功せず、リスクが高い状況で2023年3月にP/D手術を行い、胸膜全部、肋骨3本切除、横隔膜、心膜、右肺中葉合併削除を行う。(ステージⅢ)
手術後の外科的経過は順調だが、薬剤性間質性肺炎を併発し、術後の抗がん治療が見送られている状況。
電子機器メーカーの営業をしており、在宅酸素療法を行いながら術後4ヶ月で復職を果たす。

患者と家族の皆さんへ

中皮腫と診断されたら、実績のある医療機関でのセカンドオピニオンを推奨します。(セカンドオピニオンは患者の権利です)
中皮腫のワードをネットで検索すると10数年前のネガティブな記述に沢山遭遇しますが、ここ数年は治療薬や技術が日進月歩で進んでおりますので、ポジティブに考えるのが重要です。
治療や手術は辛いですが、決して諦めてはいけません。
仕事と治療を両立している仲間もおられますので、一緒に頑張って行きましょう。

後藤 里美 Satomi Goto

2019年主人が悪性胸膜中皮腫と診断され、2021年2月に逝去しました。キャラバン隊に出会い丸2年の闘病生活を゙支えてもらいました。
今は遺族とし支える家族さんのお役に立てればと思いお手伝いしています.

患者と家族の皆さんへ

希少がんの為、情報も患者も少ないです。とにかく1人で抱え込まないで下さい。ここには共有できる仲間がいます。気持ちは吐き出して心を軽くしてほしいです。

胡桃沢 成之 Nariyuki Kurumisawa

2021年1月29日に呼吸困難を発症、2021年2月8日に検査入院、2月15日に悪性胸膜中皮腫(上皮型)の確定診断を受ける。
その後の治療歴としては、2021年3月から抗がん剤(シスプラチン+アリムタ)併用療法を6回、同年10月から免疫チェックポイント阻害剤を16回、その後2022年11月から治験(経口薬IAG933)に参加、その後2023年3月に心臓付近の腫瘍摘出手術、その後2023年5月から左胸下の腫瘍に3D放射線治療、同年7月より左胸上の腫瘍に放射線治療を受けています。
社会保障としては、2021年10月に労災認定を受けています。建設業に従事してた為か比較的スムーズに認定されたと感じました。
東京都在住 56歳

患者と家族の皆さんへ

先ずはお大事にしてください。
石綿ばく露が原因の中皮腫患者は被害者です。その怒り、苦しみは計り知れないですが、早めに心の整理をつけて今を生きて下さい。
寄り添う家族の方々も共に乗り越えて患者さんに笑顔で接して下さい。時に患者さんは心身ともに辛く我儘になったりしますが、どうかストレスを与えないサポートを提供して下さい。そして治療、保障等の実情報を得る為に逸早く患者会へのアクセスを強くお勧めします。

荒尾 誠也 Seiya Arao

2021年10月頃から右胸に痛みを覚え始める。掛かりつけの病院でCT検査を受けた結果、大きな病院を紹介され体の隅々を検査をすることに。生検の為に入退院も繰り返したがはっきりとしたことが分からず、病名は悪性のがんではあるが原発不明の腺がんだった。その後、がんセンターを紹介されそこで初めて悪性胸膜中皮腫(上皮型)と確定診断を受ける。                                            がんセンターでは右肺を全摘しても余命1年と告げられましたが、主治医から兵庫医科大学病院を紹介され、胸膜剥皮術をする為に挑んだ術前抗がん剤治療でしたが、腫瘍の数、大きさ共に減少せず断念することに。                                                          その後、2022年6月よりオプジーボ治療を開始。途中2023年7月~9月と副反応で大腸炎になり休薬をしたが、10月より再開し2023年12月現在で18回目になる。

患者と家族の皆さんへ

私自身でホームページを見たり、ZOOMサロンへ参加したり、地方へ出かけてのピアサポート活動にも参加しました。また、患者さんの悩みに対応するキャラバン隊の仲間の対応も拝見させてもらいました。                                                         その結果、私自身が知らなかった知識を得ることもでき大変役にたち、大変勇気づけられました。
今後は私自身もさらに活動に参画させて頂き、少しでもお役に立てるよう頑張って参ります。
皆さん、一緒に頑張って参りましょう。

井 俊彦 Toshihiko I

2018年に2度の生検をし2019年2月に悪性胸膜中皮腫(上皮型)の診断を受ける。
翌3月にP/D手術を行う。
術後アリムタ+シスプラチンの化学療法を4クール実施する。
その後コロナ禍により転院を余儀なくされる。
再発に伴いサイバーナイフ治療を2度実施する。
化学療法もアリムタ+カルボプラチン、アリムタ単剤を試みる。
現在はオプジーボ免疫療法に切り替えるが副作用により1年程中断し現在に至る。

患者と家族の皆さんへ

2008年(平成20年)に一度目の胸水がたまりました。
2019年確定診断を受ける10年前です。その時は胸膜炎の診断でした。
入院し10日間程度で退院しその後不自由なく生活出来ました。しかし、今思えば10年前から体は異常を訴えていたのだと思います。そして、その後の健康診断の胸部レントゲン撮影も異常なしで過ぎていきました。
この病気は仕事によるばく露や環境によるばく露もあり誰もが罹患します。
患者の方は新薬に希望を持ち、ご家族の方はポブティブに接していただければ幸いと思います。

中皮腫サポートキャラバン隊を支えた仲間たち

キャラバン隊を役員として支えてくれた方々。生前に「スタッフ紹介」に記載された内容をそのまま残すとともに、特に親交のあった方の追悼メッセージを掲載します。

中皮腫サポートキャラバン隊はあなたたちを忘れません。

舘山 亮  Ryo Tateyama 2022年逝去

2018年11月に中皮腫を発症。治療として胸膜外全摘出を選択。術後、放射線、抗がん剤、免疫療法(オプジーボ)などの治療をしている。2019年11月には、「腹膜・心膜・精巣鞘膜中皮腫におけるニボルマブ(オプジーボ)使用についての署名」を厚生労働副大臣に提出するため、北海道から東京に赴いた。就学児を含む子供が2人おり、そのような経験から「働き盛りの人は家族を支えないといけない。治療の選択肢を増やして欲しい」と稲津厚生労働副大臣に訴えた。「座談会「患者と家族が抱える中皮腫との向き合い方」」などでも、自身の経験を伝えている。

患者と家族の皆さんへ

私も家族も模索しながら毎日を過ごしているところですが、自分や家族だけで悩んだり、インターネットもありますけど間違った情報もありますので、交流を図りながらきちっとした情報交換が大切だと思っています。私の経験が少しでも、多くの人の参考になれば嬉しいです。

悼-兄貴みたいな人と言ってくれた弟みたいな人 右田孝雄

舘山亮さん
2019年1月悪性胸膜中皮腫の確定診断を受け、その後すぐに左肺全摘出手術を行い、放射線治療、化学療法を経て経過観察するも、19年5月に再発が見つかりオプジーボ治療をする。
その間、自ら進んで労災保険申請、石綿健康被害救済制度申請を行い、また傷害厚生年金保険を率先して申請して認定となったり、労災年金の介護給付の認定もいただくといった中皮腫患者さんが受け取れる社会保障を率先して申請されたことは他の患者さんたちの手本となった。
また中皮腫サポートキャラバン隊の活動では「キャラバン隊にはボロ雑巾になるまで使ってもらう」と精力的に全国の中皮腫患者さんを励ましに、また講演など行うために活動された。
そして21年からはキャラバン隊の副理事長として、メンバーの厚い信頼も得ていた。
遺伝子パネル検査も率先して行なった結果、その後使える抗がん剤が見つかった。しかし、その時はすでに身体は腫瘍に侵され、抗がん剤に耐えられる体力は残っていなかった。
残念ながら、最後まで病と闘いながら他の中皮腫患者さんへの助言も惜しまず頑張って来たが、2022年7月13日永遠の眠りに就く。
ある時、亮さんに「弟みたいやわ」って言ったら、ニコって笑ってくれた。亮さんが亡くなる前日、ご家族から「亮に右田さんてどんな方?って聞いたら、兄貴みたいな人」って聞いた時には涙が溢れた。
享年46歳。

藤原 妙子 Taeko Fujiwara 2023年逝去

2016年1月悪性胸膜中皮腫と診断される。以後標準治療は受けず、食事療法温浴療法など、自然療法をしながら4年を経過。発症から2年目にキャラバン隊の代表、右田氏をはじめとする同志と出会い、中皮腫同志の会を結成。孤独な闘病に希望の光を見出す。キャラバン隊の活動にも参加し全国で講演などを行いながら活動中。

患者と家族の皆さんへ

発症当初は、病気の事を調べても調べても結果はほとんど希望のない答えばかり。暗闇の中、仲間との出会いを通して得られた光はかけがえのないものとなりました。そんな希望を他の患者さんやご家族にも届けたい。キャラバン隊は、治療や生活面の悩み、痛みの対処、救済制度、家族としての向き合い方、いろんなことを相談できる場です。同じ立場だからこそ話せる事、分かり合える事がたくさんあります。あなたにお会いできる日を楽しみにしています。

悼-志ある彼女との出会い ブログ名・jkana

病気なって出会った人、

同じ病気、中皮腫患者(胸膜)です。
私自身が、確定診断を受けた最初から気になってた方(当初、無治療で仕事やサポート活動を精力的に、されておられました。彼女の手記がサポートキャラバン隊のHPに有ります)。
中皮腫サポートキャラバン隊に彼女とお話が、してみたい希望を伝えて、Zoomで初顔合わせ、また実際にも私に会いに来て下さり、沢山お話をして下さいました。
とても穏和で優しい☺️方。
沢山悩んで苦労して痛い想いをしたから、でしょうか。
もとから、きっと優しい方なんだろけど、私にはとても穏和でそれでいて芯のある方だなぁって思いました。

このメッセージを書くにあたり、サポートキャラバン隊の依頼された方とお話をしていましたが、、、
私より沢山の懇意にされておられた患者仲間さんもいらっしゃるのに、、、
悲しい現実、、、
彼女と懇意にされておられた患者仲間さんは、彼女より先に旅立たれた方も多く、、
なんと言葉にすれば良いのか、分かりません。
以前にサポートキャラバン隊の成り立ちにも関係する大阪の某ホテルでの集合写真について、彼女と話をしました
その時のメンバーも、今は、、、という話
自身も余命宣告を受けてる身にも関わらず他者を思いやる事のできる人、
そんな方々の集まりと、それを応援しようとして下さる方々のお陰で、中皮腫サポートキャラバン隊は、なんとか活動を続けてこられ、今尚、希少がん中皮腫に悩む様々な方々をサポートし続けておられます。
とてもとても、皆自身の事で精一杯で、そんな中でも、彼女は、優しく受け止めて抱き締めてくれました。

感謝。
本当に感謝。

今でも、初めて話をした日に緊張した事、初めてお会いできて話に花咲いた事、初めて入院先に見舞いに来て下さり、便利グッズや様々頂き、寂しい入院生活を、心も入院生活も充実したものに変えて下さった事、
胸にじんわりとしたものが、わいてきます。
沢山勉強し、沢山工夫し、沢山患者仲間さんをサポートし、長く闘病生活の中で彼女の功績、交流に感謝と、安らかに、見守って下さいね、という気持ちです。

私は、彼女だけでなく、更に沢山の患者仲間さんにも出逢う事ができました。
感謝。

どうか皆様の痛みや苦しみが、和らぎますように。
良い治療方法が、早くできますように

願う事しか出来ませんが、前を向いて🤗