アスベスト(石綿)肺がんの認定基準と労災裁判(行政訴訟)

公開日:2020年5月6日

アスベスト(石綿)のばく露が原因で中皮腫肺がんを発症された方やご家族がこれまでに雇用主である企業や規制を怠った国に対して賠償を求める裁判を起こしています。このようなアスベスト被害をめぐる裁判の中には、労災認定が認められず、その処分の取り消しを求めるものもあります。認定基準を満たさない、という理由で労災請求を断念する必要もありませんし、場合によっては労災が不支給となった場合でも裁判を通じて認定される可能性があります。

アスベストが原因の肺がんの労災認定基準の歴史経過

1970年11月17日に朝日新聞が「石綿粉じん肺ガン生む 8人発病、6人死ぬ 瀬良近畿中央病院長 日本で初めて確認」とする記事を出し、世間一般に対してアスベストと肺がんの関係について警鐘を鳴らした機会がありました。それ以前の1955年には、英国の医師によって産業医学雑誌に1935年以降の検死官の病理記録をもとにした石綿工場における105名の死因を分析した報告が出されており、そこでは、肺がんによる死亡者が18人(15名は石綿肺合併肺がん)にのぼり、20年以上勤続の男性労働者はリスクが10倍になっており、肺がんは石綿関連作業にも発生する職業疾患であると結論付けていました。

労災制度におけるアスベスト肺がんに関しては、1978年に当時の労働省が「石綿による健康被害に関する専門家会議」の検討を踏まえて、10月23日付で労働省が「石綿曝露作業従事者に発生した疾病の業務上外の認定について」の通達を発出したことが認定基準が設けられた始まりです。2003年になり、「石綿曝露労働者に発生した疾病の認定基準に関する検討会」が新たな知見を踏まえた検討会報告書を作成し、同年9月19日付で厚生労働省が「石綿による疾病の認定基準について」の通達を発出し、認定基準が改正されます。その後、厚生労働省は2006年2月9日付で「石綿による疾病の認定基準について」、2012年3月29日付で「石綿による疾病の認定基準について」を出して認定基準の改正をしています。

認定基準の改正がなされる間、1997年に石綿産出国を除く8カ国の19人の石綿疾患の専門家が参集した国際会議が開催され、「ヘルシンキクライテリア・コンセンサスレポート」として石綿関連疾患の診断に関する指針が示されています。同会議は2014年にも開催され、レポートも報告されていますが、石綿肺がんに関して大きな変更はされていません。むしろ、ここでも日本の認定基準の中で過度に重視されすぎている石綿小体の本数基準について次のように指摘しています。

「クリソタイルのクリアランス率は相対的に高いことから、クリソタイルによる肺がんリスクについては、職業歴(ばく露繊維年数)の方が繊維負荷量分析よりも優れた指標と言えるだろう」

井内康輝ほか翻訳監修「石綿、石綿肺、及びがん、診断及び原因判定に関するヘルシンキクライテリア2014年版:勧告(監修者最終統合版)」『産業医学ジャーナル』第39号第5号

すなわち、肺内石綿小体測定は、とりわけ最も使用量の多かった白石綿について肺内に蓄積する量が少ないので、職業歴を基礎とした診断の方が信頼性があるとしています。

これまでには10件以上のアスベスト肺がんをめぐる労災裁判が起こされています。以下に紹介するのは、労災不支給処分の取り消しを求めて提訴された裁判の一部です。なお、提訴後に認定基準の改正などの経過もありましたので、その点ご留意ください。

石綿肺がん労災をめぐる木更津労働基準監督署事件

製鉄所において1973年から1986年にかけて、11年5ヶ月間の石綿ばく露があった被災者が、木更津労働基準監督署に対して休業補償給付の支給をしたところ業務外の判断がされました。石綿ばく露に関しては、製鋼工場内においてジャケット型の石綿耐熱服を着用し、汚れが付くたびに服を叩いて落としたことや、新技術開発のために新しい石綿製品を切断し、劣化した古い石綿製品を切断・撤去する、などがありました。

2009年に東京地裁に処分の取り消しを求める裁判が提訴されました。この裁判では2006年に示された石綿肺がんの認定基準の解釈をめぐって、その判断が争われました。すなわち、被災者の肺内からは石綿小体が1230本確認されながら、石綿肺や胸膜プラークの所見がありませんでした。一審の東京地裁では原処分の不支給決定を取り消し、二審の東京高裁でも原判決が支持される形で判決が出されました。被告である国も上告せず、判決が確定しました。判決では次のような事項が整理されています。

・石綿ばく露従事期間が10年以上あれば、職業上の石綿曝露の可能性が高いとされる程度の石綿小体又は石綿繊維があれば業務上疾病と認めるのが相当。

・石綿ばく露の有無・程度:11年5ヶ月の石綿取扱業務に従事しクリソタイルを中心とする石綿粉じんに曝露したことは争いなし。

・発症時は禁煙してから27年経過していること、遺伝的要因も認められないことその他肺がんの原因となる要因はない。10年以上の石綿曝露作業により石綿に曝露して肺がんを発症した。

すなわち、石綿ばく露10年以上あることに加えて、ヘルシンキ・クライテリアで示す職業性ばく露を疑う1000本以上の石綿ばく露があることを基礎として業務上疾病として認めるのが相当と判示されました。

石綿肺がん労災をめぐる神戸東労働基準監督署事件1

被災者は1961年から日本検数協会に雇用され、1998年まで神戸港などにおいて検数作業員として輸入貨物の検数作業などに従事しました。本船の船倉内に入って荷役作業に立ち会い、石綿袋の個数・品名・荷印・損傷等を点検し、受渡の証明を行うなどもしていました。

2009年に神戸地裁に遺族が処分の取り消しを求める裁判が提訴されました。この裁判でも2006年認定基準の解釈をめぐって、その判断が争われました。被災者には、石綿肺や胸膜プラークの所見もなく、肺内石綿小体も741本でした。一審の神戸地裁では、原処分の不支給を取り消す判決が出され、二審の大阪高裁でも原判決が支持されました。この裁判においても、国は上告せずに判決が確定しています。判決は次のような整理をしています。

・石綿ばく露作業に10年以上従事したときは肺組織内に石綿小体又は石綿繊維が存在すれば足り、数量は要件としない。

・10年以上にわたりサイド検数員等として石綿貨物を取り扱う海上検数作業に従事し石綿ばく露を受けた。

・喫煙歴や肺がんの家族歴がないから、石綿ばく露以外の要因が肺がんに寄与したことはない。認定基準を充足する。

この裁判では、ヘルシンキクライテリアが示す職業性ばく露を疑う指標としての肺内小体1000本に必ずしもとらわれることなく、石綿ばく露10年以上をもって肺がんの発症リスクを2倍に高めていることを基礎的な考えとして原処分の取り消しを命じています。

石綿肺がん労災をめぐる大田労働基準監督署事件

被災者は1955年から1985年まで航空整備会社に勤務し、航空機のエンジン溶接作業等に従事しました。当時、航空機のエンジン部分には断熱材・保温材としてアスベストが使用されていました。

2010年に東京地裁に遺族が処分の取り消しを求める裁判が提訴されました。この裁判でも2006年認定基準の解釈をめぐって、その判断が争われました。被災者には、石綿肺や胸膜プラークの所見もなく、肺内小体も469本でした。2014年に一審判決では原処分の不支給を取り消す判決が出され、国は上告せずに判決が確定しています。判決は次のような整理をしています。

・2006年認定基準は行政部内における認定判断の統一化・明確化を図るため、当該時点における医学的知見を踏まえた解釈基準を定めたものであり一定の合理性がある。

・S34年2月からS48年5月まで約14年間にわたり、航空機のエンジン部品の修理にかかる溶接作業に従事し、断熱材・保温材としてクリソタイルを主たる原料とする石綿を日常的に使用していた。

・石綿小体469本は一般人と同じレベルだが、石綿繊維1μ255万本・5μ51万本はヘルシンキ基準の職業上の石綿ばく露を受けた可能性が高いとされる角閃石石綿(青石綿・茶石綿)の水準を上回っている。

・被災者には喫煙歴がなく、肺がんの遺伝的要因があるとはいえない。

この裁判でも、ヘルシンキクライテリアが示す職業性ばく露を疑う指標としての肺内小体1000本に必ずしもとらわれることなく、石綿ばく露10年以上をもって肺がんの発症リスクを2倍に高めていることを基礎的な考えとして原処分の取り消しを命じています。

石綿肺がん労災をめぐる神戸東労働基準監督署事件2

被災者は、1967年から1994年にかけて造船会社に勤務して船体組立職として溶接・溶断の作業に従事しました。造船所は、事務職も含めて直接・間接ばく露がある代表的な石綿ばく露環境でした。これまでに、造船所の労働者が出入りする造船所近くの食堂従業員に中皮腫罹患者が出るなどしています。

2008年に神戸地裁に遺族が処分の取り消しを求める裁判が提訴されました。この裁判でも2006年認定基準の解釈をめぐって、その判断が争われました。一審判決では10年以上の石綿ばく露を認定したものの、胸膜プラークの所見があるとも認められず(原告側はあると主張)、石綿小体等の繊維計測もしていない等で不明として原告の請求は退けられました。二審の大阪高裁では次のような整理がされ、原告の逆転勝訴となり判決が確定しました。

・認定のためには、10年ばく露要件に加えて胸膜プラーク、石綿小体の医学的所見の存在を要する。もっとも胸膜プラークは中等度ばく露者の剖検でも発見されない例があり、CT画像でも検出されない可能性があるから、被災者に胸膜プラークが画像上認められないことをもって直ちに業務起因性を否定すべきなく、被災者の石綿ばく露作業にかかるばく露濃度や従事期間など具体的な状況を考慮し、2006年認定基準を満たす場合に準ずる評価をすることができるときは、リスク2倍のばく露があったものとして業務起因性を肯定するのが相当である。

・約26年間、直接石綿を取り扱う作業はなかったものの、小組立作業における罫書き、鉄板の切断、仮溶接の際、他部署に応援に行った際や防火班として作業した際などに石綿にばく露する機会があった。曝露は間接的で曝露濃度は低いものであったと考えられるが、2006年基準はばく露濃度を問わない。

・胸膜プラークであるとの意見を述べる医師も複数いることから、胸膜プラークが存在する相当程度の可能性があることまで否定することはできない。

・24年以上の長期にわたる日常的な間接ばく露を受けてきたこと、被災者と同じ部署に在籍していた者等に石綿による労災を受けていること、被災者には喫煙歴がなく、遺伝的素因があったともいえないこと等の事情に照らせば、被災者の石綿曝露は胸膜プラークを形成するに十分な程度に至っていた。加えて、胸膜プラークが存在する相当程度の可能性があることを否定できないことを考慮すると、2006年認定基準を満たす場合に準ずる評価をすることができる。

この裁判では、胸膜プラークの所見について原告と被告とのあいだに主張の隔たりがありましたが、ばく露年数を踏まえてその存在が「否定できない」との判断のもと、当時の認定基準を満たしているとしました。

石綿肺がん労災をめぐる足立労働基準監督署事件

被災者は1955年から父親の経営していた工務店で働き、1964年には事業主、1969年には有限会社を設立しました。1998年まで約43年にわたり、建設大工として木造住宅や鉄骨造建物の新築・増改築工事に従事し、石綿含有建材加工、取り付け、取り外し作業に従事しました。

2009年に遺族が東京地裁に提訴。石綿肺と胸膜プラークの所見をめぐって原告と被告の主張が対立し、石綿小体も病理検査で検出されていない事案でした。東京地裁は次のとおり整理をして、原告勝訴の判決を言い渡しました。国は控訴せずに判決が確定しています。

・木造建物の新築・増改築工事において石綿含有建材の切断加工等により石綿ばく露。鉄骨造建物の工事において石綿吹付作業の近傍で石綿ばく露。

・石綿肺の所見なし。胸膜プラークの所見はないが、同僚2名に胸膜プラークの所見がある。被災者の石綿曝露作業期間は2名よりも長く、その2名には明確な胸膜プラークがある。胸膜プラークはX線とCT画像で検出しないこともあることからすれば、被災者にプラークがなかったとはいえない。認定基準に準じる評価が可能であり、業務起因性を認めるのが相当。

この裁判では、被災者本人には医学的な所見がみられなかったとしつつ、同僚の医学的所見から胸膜プラークの存在を否定できないとして、認定基準と同等の評価ができると判断したものでした。

石綿肺がんをめぐる認定環境

中皮腫の発生に対して、消極的に見積もっても0.8倍の被災者がいる(現状の国際的な議論では少なくとも2倍以上)と国は推計しています。しかしながら、中皮腫に対して労災認定者および石綿救済制度の認定者をみると、非常に物足りない実績となっています。国や医療機関による周知の活性化はそうですが、認定基準そのものを見直す必要性も検討する余地があるかもしれません。あまりにも、医学的所見の有無に偏重した現行基準は、多くの石綿肺がん被災者を切り捨てている可能性があります。

石綿肺や胸膜プラークの診断は、専門家のあいだでも意見が異なることがあり、茨城労働局管内では、労災協力医師の審査の誤りがあった事例などもあります。

参考

裁判所 労働事件 裁判例集 平成24(行コ)137 休業補償給付不支給処分取消請求控訴事件

毎日新聞(2016年1月29日)「労働実態で石綿死認定 『国の基準に準じる』 大阪高裁判決」

・中皮腫・じん肺・アスベストセンター編(2009)『アスベスト禍はなぜ広がったのか―日本の石綿産業の歴史と国の関与』日本評論社

・井内康輝ほか翻訳監修「石綿、石綿肺、及びがん、診断及び原因判定に関するヘルシンキクライテリア2014年版:勧告(監修者最終統合版)」『産業医学ジャーナル』第39号第5号

・外井浩志(2019)『アスベスト(石綿)裁判と損害賠償の判例集成』とりい書房