コロナに負けるな!第2回ZOOMで中皮腫患者インタビュー

2020年4月24日
中皮腫サポートキャラバン隊
ゲスト:浜口保さん、尾上一郎さん
インタビュアー:藤原妙子さん

新型コロナウィルスの影響で日本全国「緊急事態宣言」が出されて、外出の自粛、3密の回避など日々の仕事や活動にかなりの悪影響を及ぼしている状況にあります。私たち『中皮腫サポートキャラバン隊(以下、キャラバン隊)』も現在はその影響で現在全国キャラバン隊活動や患者さんとの面会は自粛しています。
しかしながら、今状況でも全国に点在し、闘病を続ける中皮腫患者さんを励ませないかと考えた時、一つのアイディアが浮かびました。
共同代表の故・栗田英司氏が生前、キャラバン隊発足時において、「全国の長期生存者や元気な患者を見つけてインタビューしよう。そして一冊の本を作ろう」と、提案したことで全国の長期生存者や元気な患者さんを探して、全国行脚を始めました。おかげさまで、一昨年6月『もはやこれまで』という著書を出版することができました。そして今回、この全国の長期生存者や元気な患者さんへZOOMを使ってのオンラインインタビューを企画しました。
キャラバン隊が発足してから多くの患者さんとお会いし、まだまだ長期生存者や元気な患者さんがいることが分かりました。そんな方々をこちらからピックアップしてお願いし、自身の闘病生活や治療、あるいは夢などを大いに語っていただき、全国の中皮腫患者さんの励ましや参考にしていただければと思います。中皮腫患者の症状や経過、治療法は皆さんそれぞれ違います。その中で似たような症状の方や考え方が共鳴されるような方もいると思います。大いに参考にして今後の治療や病気との向き合い方に役立てて欲しいと思います。

本日のゲストは兵庫県在住のお二方、浜口さんと尾上さんです。浜口さんは、2016年末、確定診断を受け、片肺胸膜外全摘出手術をしたが、再発しその後延べ8回の手術と12回の入院を繰り返すも、趣味のダンスができることを夢見て日々頑張っています。尾上さんは2017年に確定診断を受け、その際肉腫型で余命6ヶ月と言われるも、抗がん剤、オプジーボを投薬し、現在も元気に過ごす毎日です。
本日のインタビュアの藤原さんは、2016年初旬に確定診断を受けましたが、セカンドオピニオンを重ねて自身は無治療を選択しました。その後、昨年丸山ワクチンを始めています。

中皮腫サポートキャラバン隊
共同代表 右田孝雄

胸膜中皮腫患者3人による対談

【右田】今日は「第2回コロナに負けるな!ZOOMインタビュー」ということで、第2回ということで兵庫県在住の方、三人にお集まりいただきました。今日のインタビュアーとして、兵庫西宮在住の藤原さんから進めていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

【藤原】西宮に在住の藤原妙子です。悪性胸膜中皮腫と診断されてから4年を経過しています。今日は私から、同じ兵庫県に在住の男性お二人の方にいろいろインタビューをさせていただいて、聞いていただいて、見ていただいている皆さんの、今後の何かいろんな指標になったり、励ましになればいいなと思っています。まず、簡単な自己紹介をお願いします。

【浜口】尼崎の浜口と申します。発症は2016年の末ですね、年末に発症して、3年越えて4年目に入っているところです。治療としたら、右胸膜肺の全摘から、最近はそのラジオ波での焼灼まで、全部で8回手術。入院も12回ほどしてます。

【尾上】西宮の尾上といいます。2017年に右胸膜中皮腫ということで、たまたまいろんな検討をしていただきましたが、肉腫型やということで手術はできずに、抗がん剤ならびに肝臓に浸潤したのを、さっきハマさんがおっしゃられたのと一緒のラジオ波をして一昨年の9月からオプジーボをして、ちょうど39回目が終わったところです。

中皮腫の発見・診断までの自覚症状

【藤原】最初に、お身体のほうに違和感を感じたのがいつで、どんな症状で気づいたか。そしてそのとき、まだ何も診断とかされてない前提で、どのように感じたか、お願いします。

【浜口】私の場合は、仕事ですね。トラック運転してて、その仕事の荷卸しなんかでもわりと肉体労働的なことだったんですけども、同じことをしてても、やたらと息が切れるようになってきて。歳も歳なんで、加齢による肉体の衰えやな、ぐらいにしか思ってなかったんでけどね。それにしてもちょっと息切れが激しいな、ということで2ヶ月ぐらい続いてたんかな。仕事が早く終わって病院に行ったら、右の肺がほとんど、半分、3分の2かな、水がたまっているっていうことで、急遽大きな病院行ってください、いうことでわかったんですけど。本当にたまたまですね、そのとき仕事が早く終わってなかったら、病気の発見はたぶんまだ2,3ヶ月後になっとったかもわからない。マイコプラズマ肺炎がめちゃくちゃ流行ってるときで、もう、咳してるときでも会社の者から、マイコプラズマちゃいますか、早う医者いったほうがいいですよ、みたいな感じで言われてたんで。

【藤原】尾上さん、同じ質問です。最初に違和感を感じた時期と、症状と、その他、どういうふうに感じたか、お願いします。

【尾上】違和感はね、全然無かったんですね。たまたま会社の健康診断で右肺に白い影が、下にあるからということで、大きな病院へ行きなさいと言われただけで、自覚症状としてはほぼ何も無かったんですね。痛くもかゆくもないという状況で。後で思えば、咳が多く出てたか、と。花粉症かいな、と思って、アレルギーの薬を近くの内科でもらったり、なんかしてたような気はするんですけどね。強いて言えば、何も無かったと。痛くもかゆくもないという状況で、たまたま健康診断でひっかかりました。

【藤原】肺に水がたまっているとかって具体的に言われたのではなく、影がある感じだったんでしょうか。

【尾上】右肺の下に白くなってるところがあると。水というか、何かそういう感じがあるから、大きな病院へ行きレントゲン撮っただけで、もう先生にすぐに中皮腫いうような、アスベストの問題は知ってますか、ということを言われました。兵庫医大の呼吸器内科へ行って、そこの先生にいきなりそう言われたんです。

【藤原】わりと珍しいケースですよね。何か最初は違うように思われることが圧倒的に、少ない病気やから、どうしてもね、最初にあれ?って思われへんことが多いみたいですけどね、中皮腫ってね二人に共通してるのは、わりと早くに可能性を言われたり、察知してたということですよね。やっぱり兵庫県やからっていうのはあるかもしれませんね。他の県だったら、なかなか中皮腫っていうところには、すぐに行き着かないケースがすごく多いよう思うんですけど。病院へ行って、どんな検査をして、どのくらいで確定診断が出たか。そのとき、お医者様から何と告げられたか。そしてそれを受けての気持ちです。お願いします。

中皮腫の診断を受けて

【浜口】22歳のときから45歳までに、ある建材メーカーの運送をしていて、その建材メーカーというのがアスベストを含んだ建材の配達をしていたので、自分ではもうそのアスベストを吸っているというのは、わかってたし。尼崎でクボタショックあったときに、尼崎でものすごく、それ、報道されてたので、中皮腫いうのもわかってましたし、歳とったらたぶん中皮腫で死ぬな、というのはずっと思ってたんで。だから検査で、何かあるたびにアスベスト系の仕事してたんで中皮腫は心配なんです、というのは色んな検査するたびに先生には言ってたんです。で、町の病院で水がたまっていると言われたときには、ああー、来たな、って、いう感じやったんですけど。大きい病院に行って、その日に肺の水を抜いて血液検査して。結果は来週ですって言われたんですけども、内科的にはほぼ中皮腫で間違い無いですっていうのは、次の週にはもう言われてましたから。11月に初めて行って、生検するまでにCT検査、造影剤、PET検査、最終的に生検をして、年明けですね、完全に確定したのは3ヶ月後ぐらいですね。尼崎の医療センターで。

【藤原】ある程度、ご自身で覚悟してたっていうことでしたけど、気持ちとしてはどんな感じだったでしょうか。

アスベストばく露の自覚

【浜口】「あ、なったなあ」ですね。自分の中では、だいたい65、6でなって70前後かな、死ぬのは70前後かないうぐらいの考えもあったんですけど、言われたときには思ってたより10年早かったなあ。そういう感じですね。そやからなったのが10年早かったな。まあ、しゃあないな、みたいな感じですかね。私もいろいろな人とお話して、たぶん、アスベストなんか触ったこともないのにいきなりそんなことを言われたらショックやろな、とは思いますし。私の場合は23のとき、そこに勤めたときから、これ吸うたらがんになるでいうのは言うてましたからね。ちょこちょこ、その職人さんとか運転手さんでも亡くなられる方おって、あそこの職人がんで死んだでいう話したら、もうこの仕事しとったらみんながんで死ぬな、とか。ただ、まだその時点では中皮腫とは知らなかった。私も肺がんやと思うとったから。

【藤原】尾上さんも今の同じ質問で、検査から確定診断。お医者様の告知と、そのときの気持ちをお願いします。

診断後の病院スタッフの対応

【尾上】2017年7月5日に、大きな病院に行きなさいで初めて行きまして。先生の、レントゲンだけの見立てで、アスベストというのを知っているかという話になって。私も建築関係の仕事をしてたので、当然、アスベストで中皮腫というのはわかってましたし、同業の中でもなっていかれる方がいてましてね。でも自分はどっちか言うたら営業職ですから、あんまり直接的に触れない部分も多いかなと思ってたんですけど。もう現場に入ったりしてましたから。先生にそう言った時点で検査してみましょう、と。CT・PETって進んでいって造影のCTの結果のときに、「家族の人と一緒に来てください」って言われて、行って「生検はしてませんけども」という話で、「恐らく中皮腫でしょう」ということを言われたわけで。それから8月に入って、胸腔鏡と腹腔鏡ですかね。当時から肝臓の上のほうにあるような感じがあったので、両方した時点で8月24日に確定診断を受けたんですね。7月24日に手術をして、25日に確定診断を受けました。受けた時点では、非常にびっくりしましたけどね。ゆめゆめ、自分がそんなことになるとは思ってないんで。知識はあったけども、え?というような感じで受け止めざるを得なかったということですね。その時点で、一応、余命6ヶ月と言われて、非常に落ち込みましたね。落ち込んで、ソーシャルワーカーさんに今後のケアとか説明とか、いろいろ聞かしてもらって、ちょっとは落ち着いたというような感じですね。一瞬はね、本当に落ち込みましたね。で、ソーシャルワーカーの方が、やっぱり落ちるとこまでいっぺん落ちて、それから復活するのが普通ですから、っていう説明聞けて、もし何かいろいろ気になるんやったら心療内科のほうも連携して同時に動けますからって。ものすごい手厚いな、という感覚をすごく思ったんですね。病気になって一人っきりというような。家族がいてくれてますけどね、家族よりもケアをしてくれる人たちがたくさんおられたんですね。呼吸器内科で診てもらって、呼吸器外科で最終診断をもらって呼吸器内科へ帰るともう同時にソーシャルワーカーやらいろんな手続きの問題やらを全部、同時並行でずーっと流れて。挙げ句の果てには心療内科まで行くような手続きに連携してましたからね。どうしても、その、心理的に落ちる人が多いですから。もうそんなんで、どすん、と落ちたところですよね、その当時は。

中皮腫の認知度

【藤原】中皮腫ってやっぱりこう、一般的にすごく予後が悪いじゃないですか。そこまではご存じ無かったですかね、お二人とも。その、具体的に、すごい余命が短いとかって、一般論としてね。

【浜口】私の場合は、クボタショックの患者さんとかの映像とかをニュースなんかで流れてたし。まあ、全然そういうの、関係無い人やったら見逃すようなニュースやと思うんですけど、私らにしたら、もう「え!?」っていう。アスベストっていった瞬間、「え!?」っていう感じで。それまで肺がんやと思ってたから。私はタバコ吸わないんで。タバコ吸わない人がタバコ吸ったら肺がんになる確率は3倍4倍にあがるとか、よく言うじゃないですか。そういう感じですね。何もアスベスト吸ってないやつより、アスベスト吸っているやつのほうが肺がんになる確率が高くなる、いう程度。タバコと同じぐらいの感じでいてたんですけど。肺がんいうてもなかなかしんどい人もおられるんですけど、中には早期発見すれば完治できるとこまで来てますからね。クボタショックのニュース見たときに中皮腫って何、みたいな。今の医学では完治不能のがんであるというのが、そのときにわかって。うわー、やばいなーって。もう。肺がんや思うとったから、はっきり言ってまだ甘く考えてたんかな、みたいな。それからはわりといろんな検査、会社の健康診断とか気をつけて、お医者さんにはことあるごとにアスベスト吸うてます、吸うてます、いうのをずっと言うてましたけどね。

【藤原】尾上さんはどうですか?具体的に、中皮腫っていうことに関しての。

【尾上】がんになったんやろなというぐらいの知識で、希少がんで余命が短いという知識はまったく無かったんですね。それから調べだしたぐらいですから。わかってなかったですね。そこからいろいろ調べると、余計に落ち込む。

中皮腫の診断後の家族の反応

【藤原】確定診断後のご家族の反応はどうでしたか、ハマさん、よろしいですか?

【浜口】病気発症したときは一人暮らしで、娘二人も独立して仕事してる状態だったんですけど二人に連絡して、中皮腫なったと。当時ね、仕事から帰ってきたら作業服とかが真っ白けになっとったんです。嫁が洗濯する前に表でバサーッ、バサーッ、バサーッと、その白いほこりをはたいてから洗濯をやってたんで。私がなったいうのを娘から聞いて、ああ、私も気ぃつけなやばいな、いうのは言うとったらしいですけどね。他の人らよりは、中皮腫はわかってたし。仕方ないな、みたいな感じですかね。別々ですからね。ひょっとしたら、裏で泣いてるかもわからんけど。

【藤原】うん。目の前でね、お父さんが一番辛いのに、お父さんの前で泣くわけにもいかず、ね。みんなある程度、少し受け止めが、もともとある状態で、あ、お父さんがなってしまったっていう感じだったんですよね。私なんかも聞かれたんですけど、私が全然アスベストの仕事してなかったから、病院で最初の調査のときにね、お父さんとか、誰か家族がアスベストの仕事をして、その作業着を着て帰ってきてたとかは無いですか、とかって、聞かれたことが何度かある。尾上さん、お聞きしていいですか?

【尾上】家族も、子どもも嫁もみんながその中皮腫というものを調べてくれるとか、調べるほど大変な病気やなということになってきます。中皮腫というものに対しての治療方法とかですね、家族会議というか当初は手術もできるとかいう話からスタートしましたんでね。でも、私自身としてはもう手術なんかしたら、痛い目するし、嫌やと。その治療方法の選択の中でね、家族と、抗がん剤だけでいくとか、それこそ無治療でいくとか、もう選択肢がたくさんありましたね。で、家族が結局、どれを選択するかというふうになってる。できることなら、いったんは手術で決まりましたと、家族の中で。もう、私自身は切って痛い目するのも嫌やし、もうこのまま生きれるだけ生きたらいいわ、というような感じで。家族からすると、できる限り長生きしたほうが、手術してでもというので、いったん手術に決まる。決まりましたけども、結局、肉腫型でまた手術ができない、いうことで、何度も何度も家族で話し合って決まったことが、検査の結果、結果によって、左右されていくわけですね。最終的にはもう抗がん剤治療しかできないと。家族にしたら、それでもなんとか、いうことでね。中皮腫やと言われてから家族の絆がね、良くなりましたね。具合の悪いときとか、心配してくれるようにもなったし、お互いにまあ、言いたいことも言えるようになりますしね。そういう意味で、変な話ですけど、病気になって、何か意外と、みんなが固まったという感じはすごいしましたね。

【藤原】そうですか。元気なときはね、お互い、したいことしててもね。やっぱり限りがあるってなったらね。何かまた違った心境ってありますよね。

【尾上】だから、結構まあ、あの、うちの場合は家族、皆がね、いてました。ね。比較的、家族に、ああやない、こうやない、っていうて励まされた部分も非常に多かったかと思います。

【藤原】奥様-!(笑)特別出演はいかがでしょうか?

【尾上妻】ええ!?こんにちは。

【藤原】ちょっとお聞きしてもいいですか?はい。お願いします。ご主人が、ええと、そうですね、確定診断受けた後のお気持ち。

【尾上】その前にひとつだけ言うとくとね、兵庫医大でCTの検査をして、それまではずっと一人で、だいたい病院行ってたんですね。中皮腫みたいな言われてるときは家族は誰も相手してくれなかったんですね。そんなん全然大丈夫や、いうて。まだCTの結果も出てないし、そのレントゲン1枚でね、ちょっと肺に水があるみたいやというだけで再検査にひとりで自転車こいで病院行ってて。造影CTの結果の日に主治医の先生から、次回はご家族と一緒に来て下さいって言われて。何か家族と一緒に来いよ、言うてるでって。ほな、まあしゃあないなと。二人で自転車こいで行ったわけですね。そこらぐらいまでは全然ね、心配して無いんですわ。向こうで先生にがんと聞いてどう思うたか、ですね。

【尾上妻】そのとき思ったのは、中皮腫っていうのはやっぱりクボタショックの新聞とかテレビとか、ニュースでやってたので、ある程度わかってたので、中皮腫の疑いがありますって言われたときに、そんなはず無い、と。そんなんうちの家であり得るはずがないっていう感じでした。新聞とかテレビでしか見たことないようなことが、うちの家に起こるはずがないと。驚きというか、何、先生、言うてはるんやろう、としか思わなくて。だから、8月に検査に入ったときも、検査で手術室に入っていったときも、まあ、だいたいその検査3時間かかりますと。3時間以内で出てきたら、手術できないと思っておいてくださいって言われて。ほんで、出てきたのが2時間半やったときも、やっぱり子どもらとそんなはず無いわな、と。もう2時間半で出てきたって、どういうことなんやろうと。もうすべてが何かもう、何ていうんやろ。うちの家でそういうことがあり得るはずがないということしか、もう、思わなかったですね。

【藤原】そして、まあ、残念ながらの確定診断になりました。そのときのお気持ちとしては。

【尾上妻】何だろう、ショックはショックでしたけど。先生がなんとかしてくれはるんじゃないかって、そんなふうにしか思いませんでした。外科から、呼吸器内科の先生にかわったときも、すごくいい先生なんです。この先生やからすべてやってくれはるんじゃないかなって、いいようにすべて運んでくれはるような気がしてたんです。抗がん剤治療をするかしないかっていう話とかも、なるじゃないですか。そのときに、先生だったらどうしますか?って聞いたときに、先生がちょっと考えて、がんばっていきましょうって。頑張れば新しい薬もどんどん出てきますから頑張りましょうって言われたときに、この先生信じていったらすべてうまいこと行くんかなって思って。ある程度ショックはショックなんですよ。でも先生が、うまいことやってくれはるんとちゃうかな、ていう風に思ってきました。

【尾上】意外とね、女性のほうがしぶといというかね、一番始めにご家族で来て下さいって呼ばれたときに一緒に行って、先生にこういう病気でこういう検査をします、と。で、中皮腫ですって言われたときに、僕らはよう聞かんけど、先生これやったらどのぐらいなんですかって。先生も、うーん、1年ぐらいですね、って言うのをね、聞くから。女性はたいしたもんやなあ、と。

【藤原】一番聞きにくいことをズバリ聞いてくれたと。

【尾上】先生も1年ぐらいです、と。その次は、また夫婦で生検終わって、手術ができないから、また呼吸器内科へ帰るわけですね。抗がん剤しかできないから。呼吸器内科のときは今度は僕が先生に聞いたんですね。先生、もういよいよ手術もできないし、こうなったし、どんなもんですか、と。そしたら先生は今度、嫁のほう向いて「言うてもいいですか」って言うて、嫁に。結局それで、ほな「6ヶ月」って言うたんですね。

【尾上妻】何もしなければ6ヶ月。

【尾上】まあ、そういう推移やったんです。えらい話がずれて申し訳ないです(笑)

【藤原】いや、ずれてないです、ほんとに。そのときのお気持ちで聞かせていただきました。ありがとうございます。次に、どんな治療をすることになったかということで、ハマさん、よろしいでしょうか。

繰り返している手術

【浜口】前回のラジオ波で8回、手術。初めての生検も含めてですけど、生検、手術で、余命確定。その後ですね、とりあえずは手術はできると。手術で治るものであれば手術するという選択もあるんですけども、はっきり言うて予後が悪いと。手術しても、はっきり手術しても余命を延ばすだけの治療になることは覚悟しといてください、いうのは言われてたんでね。今まで普通にできたことができないようになって長生きするのがいいか、手術をせずに元気な期間を長く、寿命を短くするかいうのは、すごく考えて。外科の主治医のほうから、この病気は100人患者さん来たら1人手術ができるかどうかですって言われて。手術できるわずかなチャンスがもらえるんなら、やってくださいということで、手術をしてもらったんですけど。自分の中では、余命を延ばすだけみたいな治療って思ってたんですけども、でもこうやってるうちにいろんな方々と接するようになりましたし、いや、これは余命を一番長く、記録でも作ろうかな、みたいな。今はそういう感じですかね。外科のほうには、できることがあればすべてやってくれ、と。外科的に手術できるのであればすべてやってほしい。内科のほうにも、そこの病院はちょっと治験とか、そういうのはなかなか無いんですけどね。もしあればどんなんでも、どういう治療でもします。とりあえずそれで治れば、治るにこしたことはないけど、次なってくる人とか、そういう人たちのために1つでも症例数が増えるのであればどんな治療でもやらしてくださいいうことで治療方針としては、積極的な治療いうのは言うてます。

【藤原】結果的には、最初は何か、剥皮術?あの、膜を取るだけの手術の予定だったけれども、実際にやる直前に、やっぱり全摘になりますよって言われたんでしたよね、確か。

【浜口】どっちか選んでくださいって言われて。私が行ってるとこは、全摘しかしてないと。剥皮術をするんであれば、兵庫医大のほうで紹介します、いう形でなったんですけど、他の術式があって、それがやりたいんであれば、そこ紹介しますって言う病院なんやと、逆にね。そこまでちゃんと考えてる、やってくれてる病院なんやいうのがちょっとそこであって。それならこちらの術式でやってくださいいうことで全摘手術を受けたんです。

【藤原】結局、全部で8回、生検のけても7回っていうのは、あとの感じでは、また再発したり、見つかったところがあったときに、その都度、取ってきたという感じでよろしいですか。

【浜口】全摘した後は、温熱化学療法っていって、取ったあとの空洞ですよね。肺を取ったあとの空洞に水がたまってるんですけど、42、3度のお湯にシスプラチンを混ぜたのを入れて循環させて、取ったあとの空洞を洗浄するみたいな。それを2回ほどやったんですけど、それはどっちかというと、再発してっていうよりも、予防的な治療かな。まだ見えない小さい、検知できないような腫瘍があった場合はそれでなんとかする、みたいな。2回目のあと、半年経つか経たないかぐらいですね、再発が見られて。とりあえずは取れますということやったんで、取ってもらいました。

【藤原】 その温熱化学療法のことを少し、関心ある方、おられると思うので。

【浜口】胸腔鏡ですよ、ほぼ。私の場合、肺を取ったとき以外はほとんど胸腔鏡ですかね。中へホース(管)を入れて、流し込みながら、もう1ヶ所の管から抜くんですね。だいたいその循環を3時間ぐらい続ける、いうような形ですね、手術の内容としたら。

【藤原】胸膜肺全摘のときは、がーっと切るじゃないですか。大きくがーっと切って。温熱化学療法のときは、内視鏡の手術みたいに、少し切って、そういう傷がいくつかつくような感じのイメージ。

【浜口】そうですね。全摘以降の手術はほとんどその胸腔鏡がほとんどだったんで、何センチかな、5センチ、5センチ、6センチぐらいの傷が、1回で2ヶ所つくんかな。入れるほうと抜くほう、みたいな形で、ちょこちょこついていくっていう感じですね。

【藤原】それが2回されて、その後は、再発があったらその都度。

【浜口】そうですね。確認できてんのが3ヶ所あって、再発してるっていうことで、初めての切除ですかね。摘出手術が、そやから生検も入れて4回目に摘出手術。そのときは、娘から聞いたらピンポン球みたいなのが3個取れたと。抗がん剤とかオプジーボとか、その間もいろいろやりましたけど、やっぱりそれでも1年ぐらいして再発して。そのときも取れるもんは全部取ってくれ、と。ちょっとそのときは外科のほうもちょっと触らずに化学療法とかで、いうふうな形になってたんやけど、いやもう取れるもんがあったら全部とってくれって言うて。その2回目の摘出手術は、それでも1個しかとれなかったんです。とりあえず取れるんは取りましたけど、他がちょっと取ることができませんでした。それでラジオ波のほうへ移っていったんですけどね。その3ヶ所のうちの1ヶ所は、普通に言うたらおかしいけど、普通にあるところで。1つが骨に浸潤してるところで。もう1つが肝臓に浸潤してるところ。その骨に浸潤しているところ、胸腔鏡、骨と骨の間で胸腔鏡が中に入らない。で、ちょっと取りづらい。ほんで肝臓のほうは、もう肝臓にちょっと浸潤してるんやったら、下手に取ってそれが散らばったら怖いんで、確実に取れる分だけ取りました。2回目の摘出手術のときは、3ヶ所のうちの1ヶ所だけですね。だから、このラジオ波で焼くときに、1ヶ所、かなり皮膚に近いところがあるんで、中を焼けば皮膚もやけどになる恐れがありますって言われたんが、たぶんその2回摘出したところが、もうだいぶ皮膚のほうに近寄ってきてるんやな、いう感じですね。骨に浸潤してるとこと、肝臓に浸潤してるところは触れない。骨に浸潤してるところはそのうち、もうちょっと骨ごと取りましょう、いうのは言われてたんですけどね。

【藤原】抗がん剤もされた、オプジーボもされた。

【浜口】抗がん剤は全摘して、温熱化学療法を1回やったあとに、シスプラチン、アリムタを1クールやったんですけど、シスプラチンの副作用がかなりきつくて。1クール4回目のときに、シスプラチンからカルボプラチンに変更して、2回目の温熱化学療法をやったんですけども、その半年ぐらいあとに再発が見られて。温熱化学療法ってシスプラチンとお湯を中に入れるんで、そのシスプラチンもアリムタも、おそらく効いてなかったんだろう、というのがそこで判定が出て。2回目の温熱化学療法を終えて再発したときに、ナベルビンとゲムシタビンの抗がん剤を1クールする予定やったんですけど、全摘してからね、赤血球とかの数値がかなり低くなって、もう、手術してしからずーっと、この3年4年は血液検査しても赤血球とか血漿量とか、ヘマトクリット、その辺の数値がもうずーっと低くて、ほぼ、貧血気味で、たぶんそれも影響してるんやろうけど、そのナベルビン、ゲムシタビンでかなり白血球のほうが下がって。オプジーボと同じように2週間おきに打つんですけど、2週間でその白血球の値が元に戻らなくて、で、3週間あいたり4週間あいたり、そやから2週ずつやるやつを、4週あいたり、ひと月あいたりで、1クールがかなり長くなって。で、1クールのうちの3回目終わったときに、外科の先生のほうへ、もう取れるもんやったら取ってくれっていうことで、手術、2回目の摘出手術にしてもらったんです。で、2回目の摘出手術で1個取って、で、そのあと、放射線。今度は放射線をしましょうということで、28回放射線をやって。で、ちょうどその放射線をやるちょっと前にオプジーボが承認されて。それで肺がんなんかでは、その放射線治療のあとのオプジーボ、いうのがかなりええ成果が出てるということで、そこの病院でも、とりあえず28回放射線をやりましょうということで、摘出手術のあと、28回の放射線をやって。で、その後に、そのあとからオプジーボ。17回やったんですけど、あの、その残った2ヶ所がやっぱりちょっと大きくなってる。肝臓のほうに浸潤してるのもちょっと大きくなってるっていうことで、あの、ラジオ波の手術を受けるようになったんです。

【藤原】もう、何かあの、ありとあらゆる、手術も、抗がん剤も、放射線、オプジーボも、そしてラジオ波も、ということで、いろいろ治療されてこられているので。何かこう、私なんかあまり治療とかしてなかったら、あの、治療のことで悩んでいらっしゃる患者さんには、何かこう、かける言葉とか、答えてさしあげることができないことが多いんですけど、ハマさんはいっぱい、いろんなことをされているので、やっぱりあの、治療のことで相談をされたい方とかには、きっと具体的なアドバイスができる方だと思いますので、あの、またね、そういう機会にはね、答えたりしてあげていただきたいなと思っています。

【浜口】そうですね、はい。

胸膜中皮腫(肉腫型)の治療

【藤原】では尾上さんですね。ちょっとここで、今のところ、あまり出てなかったんですが、尾上さんの場合、この、一応、中皮腫にもいろいろ型がある中で、まあ、あの、肉腫型と。一般的には結構一番ヘビーな、予後が厳しいと言われている型での診断だったんですが、幸い、とても本当にお元気で、かなりね、短いとか言われている中、お元気ですし、基本、ベースがお元気な中、ずっとこうやって元気に過ごしていただいているので、あの、治療ですね。ぜひ、同じような状況の方にも参考になると思います。また、尾上さんのほうの治療、これまでの治療についてお願いしてよろしいでしょうか。

【尾上】もともと手術を受けるということで、2017年の8月から生検で、まあ、兵庫医大なんですけども、長谷川先生の手術のレクチャーというか、あの、剥皮術ですか、それで治したるという話をスタートしたんですけれども、今、藤原さん、おっしゃられたように、幸か不幸か、何か、肉腫型やということで、手術をしてもすぐに転移してしまうので、大きな手術で体力を失うよりも、抗がん剤の治療しか仕方がないということで、呼吸器内科へ変わりました。で、そこからまあ、呼吸器内科の説明も、先生の説明が、治療方法としては抗がん剤がありますと。抗がん剤がありますけども、肉腫型には効くか効かないかというと、非常に効く確率が低いです、という、始めからもう、変に期待を持たさない言い方というかですね。まあ、仕方がないんやろうと思いましたけどね、お聞きしたときは。ですが、さっき、嫁も言うてましたように、どうされますか、と。これをしたからと言うて、効いて、非常によくなる可能性も、あの当時はね、10%言うたかな?1割ぐらいの可能性で、肉腫型にアリムタとシスプラチン、これが効く可能性がありますと。それにヒットするかどうかはわからないですけれども、という話で、もう、先生、そう言われても他にすること無いんやったら、それしかしゃあないですよね。まあ、たまたまね、藤原さんみたいに無治療という選択肢もあるかもしれんと。まあ、そのときは2つの道でしたから、まあ、先生おっしゃるように、もう先生のなすがままというかね。先生のおっしゃる、一番ベストの方法で、先生やったらどうされますか、というぐらいの話の中で、シスプラチン、アリムタが進みました。これを結局6クールですね。入院しながら6クールをしたんですね。結構長いことかかりまして。で、まあ、やったら当然のごとく食欲はなくなるわ、もう入れるたんびに5キロぐらい体重は落ちるわ、血球は落ちるわ。てなことを、ずーっと繰り返してきて、入れて3回目、2回目ぐらい、2回、3回で、ひょっとしたら効いてるんじゃないですか、と。要は腫瘍が、肺にあるのと、肺の後下部、肝臓の上部にあるウズラの卵ぐらいなのが、徐々に大きくなってきてたやつが、ストップしてたんですね、大きくなるのが。で、先生、効いてますね、と。4回、5回、最終の6回までいきました。その当時は大きくはならずに、ずっと、えー、ワンセットというかね、6回分終わったんですね。で、もう、それ以上はシスプラチン、アリムタはできません、と。やると腎臓がつぶれますんで、という話になって、いったんそこで次入れるものが無くなったわけなんですね。シスプラチンとアリムタが標準治療になってて。で、次はアリムタをいれましょう。アリムタの単体投与をしましょう。で、これとて、それこそもうひとつ効くか効かないかわからないと。でも、それしか今のところ薬は無いと。で、アリムタを入れました。1ヶ月ちょっとで、たちまち腫瘍は動き出しました。やっぱりアリムタは効いてません、という話になって。

【藤原】それがいつ頃ですかね。それがどれぐらい前でしょうかね。

【尾上】ええとね、結局、2018年の、1月ぐらいから、に、アリムタ。2月ぐらいですかね。それぐらいから春前ぐらいにシスプラチンが終わって、で、春ぐらいからアリムタの単体になったんですね、2018年の。で、その後、2ヶ月ぐらいで中止というか、効いてないということで止めになって。次、いくものは、いうたら、まあ、肺がんに使うジェムザールとゲムシタビンを入れましょうということで、こやつをずーっと5月、6月と入れていったわけなんですね。で、やってる最中、やっぱり始め、一瞬だけは、効いたような感じになるんですね、止まるんです、大きくなってくるのが。で、やっぱり2ヶ月ぐらい経った時点で、また大きくなってきましたと。大きくなってきた時点で、このときも入院してやってたんで、あの、先生に聞くと、まあ大きくなってきてるから。また聞かいでもええのに、先生、これ大きくなってたらどんなもんなんでしょうね、と言うと、今度は10ヶ月って言われた。このまま何もなかったら10ヶ月。て、言ってて、2018年の5月に、あの、東京行ったんが5月ぐらいやったんですね。

【藤原】はい。ああ、あの省庁交渉。

【尾上】うん。省庁でオプジーボの早期なんやかんやというて皆さんで動いていただいたおかげがあって、8月の時点で、まあ、主治医の先生が、もうどれも効いてないからオプジーボにいきましょう、と。ま、以前から話は出てたんですけどね。もうこんだけ期間が経ったらオプジーボを、先生、オプジーボはどうですか。で、もう、オプジーボはもともと使えないという薬でしたから、そこ行くまで。で、今、いろいろと、僕らもそんなんでね、省庁交渉行ったり何かしてるんです、言うて。うん、何か、使える時期が、どのぐらいかな、今年の年末かなあ、とか、何かそんな話は、主治医の先生とやりとりはしてたんですね。で、それが8月の末ぐらいで使えるようになって、9月からオプジーボに入ったんです。で、オプジーボをしだして、まあ、いろいろと副作用がいっぱい出てきましたけども、事なきを得ながら、進んでいってますと。で、途中で、やっぱりオプジーボは肺がんには効いてるんですけども、肝臓へ浸潤していきだしたんですね。あるときから。肺の中の下部にあったウズラ大のものが、だんだんと腹膜や横隔膜を破って、明らかに肝臓の中に転移というか、行っているようになって。で、肺にはオプジーボは効いていると。CTを撮っても大きくなってないということだったんですけど、肝臓がどんどんどんどん大きくなりましてね。で、えーと、去年の7月ですか。7月ぐらいに、このまま置いといたら肝臓破裂で亡くなりますと。ある日突然、破裂します、と。腫瘍がどんどん大きくなってきて肝臓が破裂して、もう、その、もうその時点で終わりです、と、いうことなんです。先生はそっちを心配してはりました。で、取れる方法が無いかな、と言って、外科的には上からこう開けて取りに行けない。で、ついにRFAというか、ラジオ波になったわけなんですね。

中皮腫治療でのラジオ波焼灼術

【藤原】あ、そこでラジオ波が出てきたと。

【尾上】そこでラジオ波が出てきたんです。で、いとも簡単な手術や、いうことで受けると、めちゃくちゃ痛い手術で大変だったと。で、ラジオ波。

【藤原】ちょっとラジオ波のことを具体的に、あの、関心のある方、おられると思うので、どういうものかというのを簡単でいいのでご説明していただいてもいいですか?ハマさんもされたラジオ波ですよね。お二人ともされた治療なんですけれども、全国的にはすごくまだ、この病気でラジオ波、使われている方は少ないです。で、たまたま兵庫のお二人がされているので、ちょっとどんなものか教えていただけますか?

【尾上】はい。もともと、えー、外科的に手術のできない部位を、放射線科、呼吸器内科と放射線科がタッグを組んでですね、ラジオ波という、言えば、身体の中に、プローブという棒を突っ込んで熱をかけて、肝臓の中の腫瘍を焼き切るというような治療なんですけれども。で、それでやると、普通の肺がんなんていうのは3センチ以下、言うたか、小さければ10分ぐらいで焼き切れるというぐらい簡単な手術だと。で、すぐに退院できるし身体に穴が1つ開くだけやというような、簡単な手術というのが普通のラジオ波なんですね。で、私も後で聞いたんですけども、やっていただいた、浸潤した腫瘍の手術というのは、病院でも初めてやった手術やったらしいんですね。その大きさが非常に大きいということで。もともとはウズラ大やったやつが、6センチか7センチの大きさ、握りこぶしぐらいの大きさになってたんですね。肝臓破裂するということで、それを焼いて取ると。こんだけ大きいものは、焼いて取ったことは無いということで、チャレンジされたんやと思うんですけどね。で、結果としたら、肝臓の上部にあるので、そこにある動脈を、カテーテルを入れて、血管を全部止めていくんですね。動脈が流れてると、血流があると、そこが温度が下がってるので、焼けないというので、カテーテルを入れて、動脈を止めて、肝動脈とか何か、どっか何か、何かようさんやってはりましたわ。止めて、それからプローブという針を突き刺して、腫瘍に。で、熱をかけて焼くと。いとも簡単な工法なんですけども。非常に痛いと。わめき倒すような痛さだと。で、まあ、私の場合は4時間ほどかかって、えー、3本の針で8回焼きにかかって、腫瘍の7割ぐらいは取れました、と。で、もともとは呼吸器、内科の先生とでも、7割も取れたら御の字やなという話をしてたんですけども、実際は、もっと取れると。放射線科ではきれいに取れますという話になって、1週間後に2回目の手術をしました。

【藤原】2週間してもう1回同じことを。

【尾上】もう1回同じことを。それは有無を言わさずにやられ、やられました、言うたら言葉が悪いですけどね。やっていただいて、で、もう取れました、と。で、実際、後で検査、またPETやらCTやら、やると、取れたんですけれども、こういうふうに、もう1つ、さっきのハマさんやないですけど、違う部位でもう1つ、小さいのがありましたと。

【藤原】それは肝臓は肝臓ですか。

【尾上】肝臓の中に。MRIとCTで、本来のやつは取れてますけど、その横手にあるのが、ちょっとあります、と。これが気になります、で、検査をしだして、5月の16日、3回目の手術になったんです。まあ、取り残ってたんかもわからんですしね、そこらはよくわからないんですけど、もう1回します。で、これをもういっぺんやっていただいて、非常に痛かったですけど、ま、これで全部なくなりましたと。で、こないだハマさんが、ちょうど入院されてて行けなかったんですけど、僕も4月の17日に、放射線科で半年いうか、3ヶ月いうか、何か、点検で、PET撮ったときに、またちょっと肝臓の中で光ってるのがあって、で、MRIを撮って、造影で。で、それの、結果発表が4月の17だったんですけども。ついこないだ。そこでまたせないかんのかな、もう痛いの嫌やな思って。痛いのは前から嫌やって言ってたんで、今回はもう凍結で取りますと。凍結やったら全然痛くないです、と。そのかわり、さっきのハマさんやないですけど、全部実費になります、と。これはもう何をしようが保険適用じゃないですと。前からそない言われてて、痛くないのは凍結ですからと。なんせ先生方もね、あんまりやること無いんですよ。やる気まんまんなんですよね。まあ、ありがたいんですけどね。ほんとにやる気まんまんで、あったら、あの、焼いたるとか取ったろうとね。で、たまたま、その17日の効果判定というか、あれでは、意外とPETで光ってるとこがMRIで見ると、そんなに活動をしてないみたいや、と。だから様子を見ましょう、いうて、10月まではとりあえずいただいたんですわ、日にちを。

【藤原】凍結は、完全に、全部、自己負担ということ、全額保険が使えないということですが、ラジオ波のほうは違うんですか?ラジオ波のほうもそうですか?

中皮腫の治療としてオプジーボ治療を39回

【尾上】ラジオ波のほうは、さっき言われてたみたいにね、何か、肝臓の中やったら効く場合もあるし、治験でできることもあるし、いろいろ方法がある。よくわからん部分があるみたいなんですよ。で、そういう中で3回もしましたからね。で、結局、そのラジオ波が終わって、いったん休止してたオプジーボを、ちょうど20回目ぐらいですかね。そのラジオ波で入院したりしてる間はオプジーボが止まってましてね。で、それからオプジーボをしだして、今年の2月にこれは何が原因かわからないんですけど、僕はきっと中皮腫、いうか、あれが原因ちゃうかなと、脳梗塞しましてね。先生方は。原因は何かわからないという話でね。片岡さんなんかは、もう中皮腫のストレスでなったんやろうと言うてはるんですけど、なかなかそうでもないかどうか、因果関係がよくわからんということで、先生は。で、それで、2週間ほど脳梗塞で入院をしましたと。その間、オプジーボが止まってて、まあ、おかげさんで、早期治療やったんで、ちょっとこう、言葉が回りにくくなったぐらいで、後遺症もそんなに無いんですけども。で、そのあと、引き続いて4月15日まで39回のオプジーボをしておりますと。で、オプジーボは、まあ、非常によく効いてるふうなんですね。ええ。肺の中の、その、膜の裏についてる中皮腫というか、腫瘍ですよね。それが安定してたやつがちょっと影が薄くなっているような感じなんですね。まあ、だから、ありがたいというか。それから、脳梗塞なりました、ラジオ波痛かったですとか、いろいろあるんですけど、基本的に今の状態ではもう自分では病人で全然無いような状態で生活できてます。まあ、身体の中にオプジーボ入れたらぶつぶつが出るとか、記憶障害がちょっと出てるのと違うかとか、ぜんそくになりましたとか、甲状腺ホルモンがでなくなりましたとか、何かそういう、種々雑多な副作用はありますけども、それでもまあ、まあ、生きるや死ぬやいうような問題じゃなしに、薬飲んだら治るとか、ただかゆいだけやとか、声が出にくいとか咳がちょっと出るとか、ぐらいで、まあ普通の人とまったく変わりの無い生活を、今のところできてるっていうのは非常にありがたいと思います。という治療で、今現在、39回目のオプジーボが終わったところです。はい。

中皮腫を発症してつらかったこと

【藤原】ありがとうございます。はい。ではですね、今、あの、治療に、今、されている治療について、それから現在の心境というのもある程度お聞きできましたので、ではその次にね、質問に行きたいと思います。では、中皮腫を発症して、一番辛かったことということで、ハマさんはどうでしょうか。

【浜口】はい。あの、さっきから言うているように、わりとその中皮腫に対しては、他の質問もよりも心構えというのかな、かなりあったんで。まあ、辛かった、たぶんあの、みなさん、それ、言われたとき、その病気がどんなもんであるか、いうのを調べたときは、かなり辛かったんであろうな、いうのはわかります。が、私の場合はもう、そのときよりも、どっちか言うたら、手術して、肺を取って、自分が思うように動けなくなったことですかね。体力ロス、いうんですかね。そやから、10の力が徐々に徐々に減っていって、1になるっていうんだったら、まだその、身体とか頭もついていけるんですけど、私の場合は、ああ、ちょっと息苦しいな、咳が出るな、で、ほぼ10からある日突然、1になっちゃって。だからそのとき、まだ、身体自体も脳も、その身体が、体力が1になった、いうのが把握できずに、普通に歩いても、今まで歩いてたスピードですぐ歩いてしまう。そしたら、ものの10メートルも歩いたら、もう息切れして立ってられなくなるとか、まだその手術した後の身体についていけない。で、まあ、いろいろ、どっちか言うたら体育会系で、いろんな身体動かすことが好きだったんですけど、それがほぼできなくなったと。だから私がその中皮腫になって一番辛いというのは、中皮腫自体で辛いというよりも、その中皮腫のためにする治療ですかね。身体が、もう、その体力がなくなった、体力ロス。その辺が一番辛いですね。

【藤原】具体的にはやっぱりあの、一番の趣味のダンスが思うようにできなくなったことも大きいですよね。

【浜口】はい。もう、ほとんど、それがもう、ダンスもできなくなったし、さっき言うたみたいに、普通に歩くのでさえ、もう、今なら大阪、梅田歩いても、歩いたら、もうかなり邪魔になるような歩き方しかできないんでね。後ろからどんどんどんどん追い越されていく、いう、そんな感じのスピードでしか歩けないし。そやから、そやね、中皮腫で、言うよりもやっぱりその体力ロスが私は一番辛いですね。

【藤原】はい、ありがとうございます。はい。いつもあのブログでもね、やっぱりそういうことを書いておられたな。治療したのに、手術をしたのに、そういう状態っていうのは何かこう、ね、矛盾してるみたいで、受け止めきれないようなところがね、ありますよね。

【藤原】ありがとうございます。では尾上さんは、一番辛かったことというのは、どういうことでしょうか。

【尾上】一番辛かったことっていうて、そんなにね、思いっきり辛いというか、まあ、ね、これでもう、ね、自分の人生も終わりかな、と思うんで。これから先のね、家族のことなんかが心配になるっていうのが一番辛いというか。自分自身で辛かったいうのはね、抗がん剤のね、副作用というかね。もう何か、匂いもダメだし、厳しいなと、これはもう、もう嫌やなと思う。辛い、辛いとすると、ラジオ波の痛みですね。肉体的、気分的に言うても抗がん剤とラジオ波ですね。痛みと気分の悪さ。この2つが一番何か、辛かったですね。

【藤原】うん。同じ病気でも、ね。やっぱり辛いことの内容もやっぱり違ってくるっていうのがね、すごくありますね。ありがとうございます。では次に、7番と8番を一緒にして、治療中に励まされたもの。で、ちょっと似ていると思うので、発症から現在までで、かけてもらって嬉しかった言葉というのをお願いしていいでしょうか。ハマさん、お願いします。

【浜口】あの、私は、このブログをずっとやってるんですけど、もともとその、趣味のダンスなんかのブログをやってたもんで、病気発症する前からこう、アカウントは持ってたんですけど。まあ、2ヶ月に1回更新するような感じでやってたんですけども、発症したその晩に、とりあえず、こうこうこうで、こういう病気、発症しましたというブログを載せたんですけど、ちょうどそのときが、あの、ダンスのレッスンの曜日だったんですけど、その晩にね、突然、電話鳴って、見たらそのダンス友達から電話があって、ブログ見ました、と。で、その、告知されたことを書いてるんで、大丈夫ですか、言うて。みんな突然なことでびっくりしてます、いうことで、その場で、レッスン終わったあとや思うんですけど、ひとりずつこう、代わる代わる電話にかわってくれて、がんばってください、みたいなのを、ずっと言ってくれたんですね。だから、それは告知されたその日の晩だったんでね、かなり嬉しいのは嬉しかったですね。さっき言うたみたいに、私、一人暮らしなんで、言う人もいてないし、はっきり言うて、悩むこともほぼひとりで悩んでるようなもんやからね。だから、その日の晩のうちに、そういうふうな電話かけてくれて、いきなりもうみんなから、がんばってください、がんばってください、いうのを声かけられたときにはめちゃくちゃ嬉しかったですね。あとは、ダンスなんかでね、バトルとか、いろいろ、バトルいうのがあって、ダンスを踊りあって、どっちが勝ったか勝敗決める、みたいなのがあって。普通、1対1とか2対2とかあるんですけど、たまたまそのときに2オン2、2対2のそのダンスバトルがあったんですけど、告知されて、次、肺を取るまでの間に、まあ、あの、ダンス、まだ肺があるうちにしかできないな、思ってたので、誰か出えへんかな、と。ブログでもね、誰か出る人いてないかな、最後や思うから出たいんです、みたいなことを書いてたら、その教えて下さってる先生がね、一緒に出ましょうって言われて。その先生もストリートの中ではかなり有名な先生で、それで、え?いいんですか?私なんかと一緒に出ていいんですか、って。いやもう全然かまいません、元気なうちに一緒に出ましょうっていう形で、出てくれたんですね。たまたまそのときの出場者いうのが、かなり有名な人らばっかりが出てて、そのジャッジしてる人も、大御所さんみたいな人がジャッジやったんですけど、その中の一人も、私のことを知ってる人がジャッジで出てはって。で、あの、病気のことも知ってはるから、終わったあとね、その終わったあと、そのいろんな、ブログに書いてるところに、私との先生がタッグを組んで出てきてるのを見て胸が熱くなりました、みたいなブログを上げてくれてたりとか。ほんで、本当にもう2、3ヶ月ぶりに会うようなダンサーさんとかでも、もう、パッと顔見たら走ってきて抱きつかれて。普通やったらいつも握手程度やねんけどね。走ってきてもう抱きつかれて「大丈夫ですか」いう。あ、こんな人らも見てくれてるんや、みたいな、ブログをね。ああ、ダンスやっとってよかったな、みたいな。で、いろいろ、それまでにも、いろいろ連絡あって。神戸からも何人か「ご飯たべましょう」みたいな、来てくれるし。で、その生徒さんやねんけど、ご飯一緒に、今度ちょっとご飯食べませんか、いうて言ったら、他の先生、呼んできてくれてはって。で、その先生も、「ああ、大変ですね」みたいな。わりと、そやから、始めの半年ぐらいは、すごい声をかけてもらってありがたかったし。そのあとでも、こう、ちょっと、イベントでも見に行くだけしかできないんで、ちょっと顔出して見に行っても「ああ、大丈夫ですか」いうのは、もう、すぐ声かけに来てくれるんで、そのあたりはかなり、嬉しいですね、はい。

【藤原】ありがとうございます。では尾上さん、可愛いですね、ワンちゃん。初めて見ました。

【尾上】といちゃん。

【藤原】といちゃんとゆうちゃんですね。はい。では、尾上さんも、はい、嬉しかったこと。

【尾上】何と言うてもね、家族に看病してもらったりね、励ましてもらったんが一番の、まあ、あの、嬉しいというかですね。もう、そう、治療中に励まされるというか。あとは、まあ、ソーシャルワーカーさんね。結構、ソーシャルワーカーさんにお世話になって、いろいろこういうときはどういうときで、というのがありましてね。で、まあ、治療中いうか、皆さんにあまりね、積極的には言わないようにしてたので。まあ、まあ、がんみたいなもんやというぐらいのね、感じで。まあ、大丈夫、大丈夫って言われるのが一番ですね、気楽に受け取れる言葉やったかなと思います。まあ、まあ、家族に迷惑をかけるというかね、結構見てくれたのがね、一番ありがたかったですね。ぐらいです。

【藤原】みんなやっぱりね、病気になっても一人じゃないということですよね、ほんとにね。人に、自分で何かをしたとかっていうんじゃなくて、やっぱり誰かにかけてもらった言葉とか、してもらったことというのが嬉しいですもんね。やっぱり、人間はひとりで生きてるんじゃないねんな、っていうのはわかってたけど、何か病気になってね、一層実感することは多いですよね。ありがとうございます。では次ですね。今、この状況の中で、一番大事にしたいこと、それからやってみたいこと。これをお願いしてよろしいでしょうか。ハマさん、お願いします。

中皮腫と診断され、治療する中で大切にしていること

【浜口】したいこと。大事にしたいことですね。まあ、大事に、先ほど言うたみたいに、もう、どんな治療でもして、ひとつでも症例数を増やすと。あと、この病気になった人たちとか、なってしまった人たち、ちょっとでもその助けになる、なら、少々の治療は我慢してやっていきたいな、いうのが、やってみたいことですかね。もう、したいこと、言うても、さっき言うたみたいに、もう体力ロスが一番で、もうほとんどできることは無いやろな。ダンスはもうほぼ、前、昔みたいに思いっきりできることは無いというのはわかってるし、まあ、その辺はちょっと辛いのはありますけど。とりあえずがんばって治療していくとですかね。やってみたいこと。わりとね、病気になる前、好き勝手やってましたからね(笑)もう、ほぼ、やりつくしてもうたからね。やってみたいこと、いうのも、まあ、そやね、今の状態、考えてみたら、やってみたいことを探すこと、ですかね。

【藤原】あ、なるほど。それもありですよね。まだまだ、まだまだがんばろうと思ったらね。今から探したっていいですよね。はい、ありがとうございます。では尾上さんも、一番大事にしたいこと、やってみたいこと、お願いします。

【尾上】えー、まずですね。大事にしたいことというか、もう、毎日毎日ね、元気に、できることをして、大事に暮らしたいなというのが一番大事にしてるっていうことですね。特に大きな変化のあることもしようとは思わないし、日々の生活が安泰にできれば一番ありがたいということで、一番大事にしたいことかなと思います。やってみたいことなんですけど、できることはなんでもしてるんで、ハマさんやないですけど、特に無いんですね。

【藤原】はい。もう実際やってるっていうことですよね。

【尾上】この状態でできることならなんでもしましょう式で生きてるというか、毎日を大事に過ごしてる感じですから、それこそテニスするのも楽しい、ゴルフ行くのいい、魚釣りするのもいい、かといって1日ちょっとこう、熱っぽいとか体調が悪くなって、1日家でのんびり過ごすのも、これもまたね、かけがえのない時間やなあ、とか。で、病院へ、その、今は2週間にいっぺん、2日間病院行って、他の、ね、脳梗塞の件も行かなあかんから、1週間にいっぺんぐらいは皆さんと一緒に病院に行きますけども、こないして自転車こいで病院行けるのもね、まあ、毎日のことの中で楽しんでいけるように、あの、復活をしてるんで、本当、毎日の生活を大事に、生活するのが一番、望みであり、自分でやってることですね。

【藤原】ありがとうございます。はい、ではその次ですね。もし今、病気が治ったら何をしたいですか?治ったら、ですよ。今は、漠然としたいことじゃなくて、治ったらしたいこと、ハマさん、お願いします。

【浜口】治ったらっていうか、もう、ね。肺も元に戻してもらって、いう状態で考えたらですね、やっぱりダンスですね。いろんな、今まではその、ダンスでも、こう、あの、イベントなんかでも、参加したりするほうだったんで、できればイベントなんかやりたいですね、はい。

【藤原】やっぱりダンスですよね。はい、ありがとうございます。じゃあ、尾上さんも、もうたいがいやりたいことをいっぱいされているのも、よく存じ上げておりますが(笑)治ったとき、何をしたいかをお願いします。

【尾上】あえてね、美しく言うと、治ったとき、もう1回ね、仕事もしてみたいなと思うんですね。もう結局、こうなったことで退職をしてますんでね。仕事も、それと遊びも思いっきりね、できる限り。今はもう、そういう状況ですからね、海外旅行もなにもかも行けないんでね、そういうこともしてみたいと思いますけど、仕事も遊びもしっかりとやりたいですね。

中皮腫患者のみなさんに伝えたいこと

【藤原】ありがとうございます。次に、今、他の患者さんやご家族に伝えたいこととして、まあ、例えば治療中の豆知識やアドバイスでもいいですし、かけたいような言葉でもいいです。そういった方に何か一言ずつお願いしていいですか?

【浜口】患者さんでも、いろんな患者さん、おられるんで。私みたいに、もう、とことん治療すると決めた患者さんもおったら、ね。藤原さんみたいにもう無治療で、いう患者さんもおられますし。その、一概に全員にこう、というのはなかなか難しいんですけど、まあ、あって何かが聞かれるのであれば、その都度、答えはできますけど、漠然としたことを言うのは、なかなか難しいとこもあると思うんです。だから、まあ、アドバイス、ですね。やっぱりこう、今まで治療、手術、重ねてきて、思うのは、やっぱりあの、お医者さんもそうやし、こういう患者さん同士でも、コミュニケーションというのがすごい大事で。ほとんどその患者さんでも、コミュニケーション取る相手がお医者さんだけっていう患者さんもいてるわけじゃないですか。もうほとんどその患者さんとのつながりは無い方たちとかね。若い人たちならね、ちょっともうパソコン、スマホでいろんなことを調べられますけど、もうそういう方が、そういうのがちょっと疎い方はなかなか調べるのもできないし。もうちょっとしたことでも情報が入るなら。今回のラジオ波の話でも、本当に私が外来で行く前の日に、兵庫医大のほうで、あの、そのイベントがあって、尾上さんに話して、ラジオ波でこういうことができる。で、その前にラジオ波、できればいいんですけどね、っていうのも医者に言われてた。で、それで外科の主治医のほうに、いや、昨日実は同じ患者さんでラジオ波でやってる方がおられます、いうことでもうすぐに話が進んでいった、いうんがあるんで。やっぱりその患者さん同士の、こう、情報のやりとり、いうのはかなり有意義なものもあるし。それがなかったら、たぶんそやから、今回も私、患者さんとのやりとりが無かったらラジオ波もやらんとそのまま肝臓にね、浸潤してるやつを、ただ単に抗がん剤で叩きに行く、ぐらいしかできてなかったんでね。
そやから、もう、それが、それだけしかしない医者、病院が悪いんじゃなく、それしかできない病院もあるし。じゃあ、どこができるんや、言うたら、病院で探してもらう、いうのがなかなか難しいのもあるんで、やっぱりその治療経験のある人。で、また、いろんな治療されてる人。そういう話をあちこちで聞く、いうのはかなり大事じゃないかなと思います、はい。

【藤原】そうですね、ほんとですね。ありがとうございます。はい。何かあの、今日、ちょうど尾上さんとハマさんとでお話聞けて、お二人がそういうふうにコミュニケーションで治療の何か、幅が拡がったりって、された。たまたま、本当にそのメンバーでね、今日は一緒にインタビューができたので、何かそこに何かひとつ、答えみたいなのがあるみたいで、何かすごいなって、今、感じてます。ありがとうございます。はい、では尾上さんも同じように、患者さんや家族に伝えたいこと。豆知識、アドバイス含め、お願いします。

【尾上】ハマさんおっしゃるようにね、同じような患者会というか、患者さんとの、その意見交換というかですね、そういうのも非常に大事で。私自身もそういう中で、いろんなことを勉強させてもらいましてね。あの、右ちゃんにもメシマコブがいい、いうてね、教えていただいて。今まで結構高いやつやったんで。あれできっとだいぶもったんかなと思ってるんですけどね。でも、そういうこともありますし、いろいろ皆さんがやっておられることをね、藤原さん、おっしゃるような、あの、野菜スープですかね。確かにあれからうちもスロージューサーを買って、それでね、野菜のやつもずっとやってきましたし。だから、いろんな意味でそういうことを、あの、聞ける、話せる環境というのを大切にしていくのが一番やないかなと思います。それとあと、ひとつはね、あの、私自身ですけど、手術も何もできへんと言われた時点から、まあ、主治医の先生からもそうですけども、無理にね、あの、この病気やから、これを治さないかん、というんじゃなしに、もう、言えば腫瘍があるんやから、それと共存共栄をしていく、言うんかね、お互いおったらええやろと。お前が強う出てるときはこっちはおとなしいしとくがな、というぐらいの気持ちでですね、もったままいくという、そういう割り切りというかね。そうなってしまうと、何か変に気にならなくなりましたから。それもあの、変な腹の括り方ですけど、まあ、言うたらいかんのかもわからんですけど、治そうと思って、今のところ治る病気じゃないんですよね。だから、どっちかと言うと、持ったまま行ける、あの、気持ちというか、それが大事やと思いますね。なんで、なんでと言うよりも、こうなったことによって、これを持っていこうとするような。まあ、言えば、共存共栄もね、持っていけるもんならというとこやろうと思います。以上です。

【藤原】ありがとうございます。ほんとに、あの、ね。厳しいと言われる病系、型であっても、こんなに元気で、過ごされているというのは、もし同じ病気のね、型を言われて落ち込む方にとってはすごい希望の星になると思います。私も今、尾上さんがおっしゃった、そのまんまですから、本当に私は治療してないっていうのは、もう共存共栄です。ほんとに、あの、病気を持ったまんま、行けるとこまで行ったろやないかという、気合いだけで今までやってきてますし。確かにあの、まあ、治らないということをある意味、受け入れた上では、ほんとに、そういうふうに、持ってるけれども、それでできるだけ自分を元気な状態に保っていくっていう、そういう延命の仕方もあるなというふうに考えてますので、今、尾上さんがおっしゃったことに、私もすごく同感の気持ちです。で、本当にね、ハマさんのおっしゃったとおり、みんなでこうやって繋がって、いろいろ情報交換していくことが、情報が入るということ自体の価値以上に、やっぱり気持ちの上でね、やっぱり励まし、みんながお互いに励ましになってるっていうこともね、すごく素晴らしいなといつも、本当にこういう活動を通して、私はいつもそれを一番に感じます。ありがとうございます。じゃあ、最後なんですけれども、今後、キャラバン隊に何を望みますか。また、ご自身もキャラバン隊で何がしたいですか、ということで、ハマさん、お願いします。

中皮腫サポートキャラバン隊に期待するもの

【浜口】先ほども言ったんですけど、情報ですね。あの、質の良い情報を、発信する。なかなか難しいとは思いますけど、その、こういういろんな治療された方の話や、その治療。で、まあ、どういう結果は、なかなか難しいもんがあるんですけど、こういうその結果とか。それを、こう、正確な情報発信すれば、聞かれた方はその正確な情報に基づいて、自分で考えて行動ができると思いますし、また、この決断できると思います。だからその、情報ですね。まあ、いろいろあると思いますけど、質のええ、質のええ情報を広範囲にわたって発信していただければなと思います。で、まあ、キャラバン隊、なかなか私、参加、今までちょっと二の足踏んで、踏んでたんですけど、まあ、あの、患者さんの中でも、聞けばやっぱりなかなかここまで手術してる人とかもいないみたいで、いろいろお話も聞かれるんで、その中で、あの、こうやったときの私の体験とかですね。やっぱりなかなか、その、客観的に言う、いうのはなかなか難しいんですけどね。あの、自分の治療を、客観的に話したりアドバイスしたり、ですね。で、その方の治療する決心、決断とかに役立ててもらえれば嬉しいかなと、はい。そう思います。

【藤原】はい。今日のお話も充分、そういう内容がいっぱい盛り込まれていたと思います。はい。また、あの、これからもよろしくお願いします。じゃあ、オネトイさんもお願いします。

【尾上】ええとね、私自身もね、まあ、キャラバン隊というか、患者と家族の会というかですね。まあ、これを知ることによってですね、いろんな知識、ならびにね、まあ、ある意味、その、やっていく勇気をもらった、いうのがあるので、基本的にまあ、あの、みんなで仲良く、それこそ医療の情報の交換もいいですし、だいたい傷のなめ合いをしてもいいですし。

【藤原】愚痴もね、愚痴もね。

【尾上】いうような、あの、患者会が、このキャラバン隊というものでね、できていったらなと思います。その、素晴らしいとこばっかりを狙うといったってね、なかなかそれでは、皆さん、肩張るだけですから、それこそ傷のなめ合いが一番ええんと違うかなと。あんたはそうか、私はこうや、とかね。そういうことを今までさしていただけたから、結構自分のこともこうだって言えるようになってるから、こういうことをやっていければいいんじゃないかなと思います。で、まあ、キャラバン隊で何がしたいですかって言われたらね、できることは何でもしますんで。ただし自分の都合でできることだけですよ。今、あの、39回目のオプジーボの、あの、寄稿をせないかんやつを一生懸命考えてますんで。というところです、はい。

【藤原】はい。では、あの、一応、今、あのね、課せられていた質問は全部終わりました。本当にお二人、ありがとうございます。またみんなね、本当にみんなで、まだまだ元気でがんばりたいと私も思いますし、はい、これからもどうぞよろしくお願いします。では以上です。ミギエモンさん。

【右田】ありがとうございました。ええと、だいたい2時間ぐらいですね、今日、やって。もう、長々といろいろと質問に答えていただいて、ほんとありがとうございます。もう、ね。お三人さんとも、私の人生の先輩でございますから、申し訳ないなあと思いつつずっと聞いていたんですけども。方やね、やっぱり7回8回手術して、12回入院されてね。ハマさんがやってる。で、方や余命半年って言われて、もう、こうやって2年3年がんばってる尾上さんがおって。で、方や、インタビュアーですけども、無治療で今ずっときている藤原さんがおるということで、やっぱりその、三者三様で、正直言うて、何が成果かわからへんと思ってるんですよね。ほんで、さっきもやっぱり浜口さんが言うたように、その、それぞれ、いろんな情報を得て、それぞれに合った道っていうのがあると思うんですよ。うん。だから、僕が最近思ってるのは、いろんな方、やっぱり、今、この状況で、今、家におったら、やっぱり本読んだりいろんな情報が入ってくる中で、正直、あの、新型コロナウイルスの情報もそうですけど、何を信じてええかわからないじゃないですか。いろんな情報が飛び交ってて。やっぱり中皮腫の情報もそうで、その、いわゆるその、誰かが言ってたよ、とか、どこかの看護婦さんが言ってたよ、医者が言ってたよ、って言っても、医者でも中皮腫のことを知ってる人っていうのはやっぱり一握りですからね。だからやっぱりその辺は、もう、どうやって治療していくかっていうのは、自分の勘というか信念というか、そういったもので、いろんなやっぱり、いかにいろんな人から情報を得て、それをね、メシマコブのとか、いろんなことをして、あ、これ違うわと(笑)ええもんはええ、あかんもんはあかんと自分でさばいていってね、それで。もう僕の影響、かなりいってると思うんやけど。もう韓国で痛い目に遭いましたけどね。ほんとに。まあ、そういった部分で、やっぱりね、やっぱり、あの、自分自身、やっぱり家族がどうやって決めていくっていうか、やっぱり後悔がやっぱり少ないですよね、そうすることによって。だからやっぱりその辺の信念はやっぱり皆さん、患者さんとして持っていっていただいてるっていうのは、すごいなと思ってました、思いましたね。で、やっぱりその、尾上さんはね、もうやっぱりテニスにゴルフにいろいろやってるっていう部分があってすごいなと思うし、ハマさんなんかやったら、そのね、やっぱりダンスっていうのがやっぱりその肺が無いという部分でできないっていうふうな葛藤はあるけど、やっぱりたまに練習したりしてて、ああ、すごいなと思うし。やっぱり身体動かすいうことはやっぱり大事なんやなと思ってますしね。で、ぜひともいつかは、キャラバン隊としてもハマさんにですね、ダンスのイベント、していただきたいなと思ってるんで。やっぱりあのダンス見てたら、僕ら、やっぱり見てる人間がやっぱりこう、鼓動を踊らすというかね、もうやっぱり胸躍らすというか、わー、見てみたいな、っていう、要するにみんな励まされるんで。ぜひともいつかね、そういうのをやってほしいと思ってます。やっぱりキャラバン隊として、やっぱり尾上さんにも、やっぱり浜口さんにも、いろいろこう、やっぱり、おのおのが違う治療をしてますから、やっぱり双方の話を、どんどんどんどん、いろんな人に聞かせたいなと思ってますので、あの、ね、藤原さんともども、お三人さんには、今後ともキャラバン隊に協力していただけると思うんですけど、よろしくお願いしたいと思います。よろしくお願いします。今日はほんまに、長々とありがとうございました。第2回コロナに負けるな!ZOOMでインタビュー、これにて一応、終わりたいと思いますんで、よろしくお願いします。ありがとうございました。