『アスベスト被害、中皮腫患者の生き方』(栗田英司 ビデオと講演録/2019年4月6日)

中皮腫サポートキャラバン隊 in 静岡
日時:2019年4月6日(土)13:30~16:30
場所:あざれあ 静岡県男女共同参画センター502会議室
(静岡県静岡市駿河台馬渕1-17-1)
内容:栗田英司 講演『アスベスト被害、中皮腫患者の生き方』
日本初の中皮腫ポータルサイト・みぎくりハウスの紹介と中皮腫患者・家族の交流会

栗田英司さんは1999年12月24日、33歳の時に腹膜中皮腫と診断され、これまで4回手術を受けました。2年半前に肺と肝臓への転移が発見された時、抗がん剤治療を勧められましたが、抗がん剤を受けないで体調の良い元気な状態を活用して、全国の中皮腫患者とともに中皮腫サポートキャラバン隊の活動を始めました。自身の経験を他の中皮腫患者に伝えることにより、役立ててもらいたいと考えたからです。

栗田さんは昨年からキャラバン隊の講演を全国18か所で行いました。479人の参加者を得ることができ、その内、中皮腫患者は77人でした。栗田さんらは個別訪問も行い、講演会参加者と合わせると昨年1年間で100人程の中皮腫患者と会い、患者や家族からは「生きる希望を持てた」「明るい気持ちになった」という言葉を頂きました。

2019年1月6日、日本初の中皮腫ポータルサイト・みぎくりハウスを開設し全国の中皮腫患者や家族に向けて情報提供を始めています。

現在、栗田さんは故郷の静岡県で療養をされているので、中皮腫サポートキャラバン隊in静岡を開催することにしました。

腹膜中皮腫としての生き方(講演録)

皆さん、こんにちは。2週間前にこの集まりを開こうということで会場を用意したり、周知のご案内などをさせて頂きまして、何人ぐらい集まるのかなと思っていました。いつものように10人から15人ぐらいの、仲間内の人だけ集まるのかなと思っていたのですが、これだけ多くの人が集まって下さったことに本当に感謝いたします。

初めてお会いする方もいらっしゃるようなので、補足しながらお話していきますので、少し長くなるかもしれませんが、お話を聞いて頂ければと思います。

話の全体の内容としては、私がだいたい20年ぐらい闘病生活をしてきたのですが、その間に見てきたアスベストの患者たち、または遺族、家族、そういう人たちを見てきて感じた個人的な感想、そんなことを今日の話の中で話したいと思っています。ですから私が見てきたことが全部正解という訳ではありません。その中から何らかのヒントを引き出して頂ければと思っています。

だいたいの話の流れですが、一番目は自分自身の心に芽生えた気持ち。これはごく最近、ここ1年ぐらいで感じた、私の心の変遷について語りたいと思います。二番目としては、中皮腫患者特有の困難。三番目としては目標設定を工夫する。そして四番目にはキャラバン隊活動をどのようにとらえるか。そして五番目に最後の皆さんへのコメントということでお話させて頂きたいと思います。

腹膜中皮腫患者としての私のプロフィール

まず私の簡単なプロフィールですが、1966年10月の27日生まれの52歳です。生まれたのは静岡県の静岡市清水区の鳥坂と言われる地区で生まれました。18歳まで静岡にいて、そして就職で東京に上京いたしました。それで1999年12月24日、今から約20年前のクリスマスですね。その時に腹膜中皮腫、余命1年と宣告されました。その20年間に約4回の開腹手術を行いまして、主に腹膜を取るという手術をしてきました。

そして今から2年前の2016年4月、肝臓、肺、腎臓、そういう臓器に転移しました。それでもう、そこまで転移してしまうと、もう手術は無理だという話になりまして、抗がん剤治療を勧められましたけれども、抗がん剤治療は拒否するという選択をいたしました。

そしてその2年間、どういうふうに生きようか考えたときに、先ほどご紹介がありましたように、今から約1年半前、2017年9月から、この中皮腫サポートキャラバン隊の活動を始めました。だいたいそんなプロフィールです。

それで自分自身の心に芽生えた気持ちですが、この1年間、私の心の中でいろいろな変化がありました。

ちょうど1年前の2018年4月6日に、私、下血したのです。腹膜中皮腫患者が下血するということはどういうことかというと、腫瘍がもうお腹の中にたくさん溜まって、小腸なのか大腸なのか分かりませんが、どこかに腫瘍が顔を出してきて、そこから下血します。腫瘍性の出血というのは、ほぼ止まりません。下血したらもう死ぬ、そういう状況です。

中皮腫患者としての「太くて短い人生」

4月にそうした下血をしましたので、ああもうほぼダメかなと、そのとき思いました。後から聞くと医者ももうダメかなと思ったそうです。ところがたまたま運良くその下血が止まりました。ところがその翌月、今度は腹水貯留。腹水がたまってお腹がこんなに大きくなりました。それで抜くしかないので腹水を抜きました。約7リットル抜きました。そして1ヶ月もしないでまたお腹がこんなに大きくなって、また抜きました。約4リットルぐらい抜きました。やっぱりもう繰り返し腹水がたまるというのも、これももう腹膜中皮腫の患者にとっては、もうほぼ最期の状況なので、このときも、もう終わりなんだろうなと思っていました。ところがこれもたまたま運良く止まりました。止まった理由は全然分かりません。

私は先ほども言いましたように、抗がん剤治療をしないという選択を、その前からずっとしていました。その理由は、私の人生観としては、「太くて短い人生」でいいと。元気な時間を過ごせればいい。抗がん剤治療をやって、弱った状態で長い間、病院の中にいて何もできない状態。そういうものは嫌だなと、ずっと思っていましたので、そうした人生でもいいかなと。そういう割り切りは持っていました。

ですから、その時にたまたま回復して、1年間へろへろな状態で、今こうやって生きているのですが、ちょっと不本意だなという気持ちは今でも持っています。

中皮腫患者として観たイチローの引退会見

ところが、この前イチローの引退会見を見ていたときに、イチローもこの1年間非常に苦しんだと言っていました。イチローの引退会見の中で1年間のギフトについて話していたときに、私もこの1年間へろへろな状態で生きてきましたけれども、この1年間にもらったギフトを考えてみました。そうしましたら去年の6月に中皮腫100人集会&省庁交渉をやることができました。そして同じく6月に『もはやこれまで』という本を出版することができました。またオプジーボの早期承認の要請をずっとしてきまして、それが認められたかどうかは分かりませんが、8月にはオプジーボが早期承認されました。そして日本肺がん学会の中皮腫の外部委員に選ばれて、お医者さんが見る治療のガイドラインがありますが、患者の代表として、お医者さん達にまじって意見するという、そんな機会にも恵まれて活動することができました。また11月には中皮腫サポートキャラバン隊として独立し、自由に活動する大きな飛躍、そうした経験もできました。12月に中皮腫ポータルサイトの「みぎくりハウス」も作りました。その他にも関西テレビとかNHKの特集でテレビに出ることができました。何の特技も無い人が、テレビや新聞に出るなんて、それは単純に嬉しい経験をさせて頂きました。

中皮腫患者として多くの最高の仲間、サポーターとの出会い

こうしたへろへろな状態であっても、これだけのことを体験できた。そして最高のギフトとして、最後に取り上げたいのは、多くの最高の仲間、サポーターと出会えた。これは一番大きな贈り物だったと感じています。それで、こうした経験をすることで、単に太くて短い、いま咲いている桜のようにぱっと散っていくという人生もいいのだろうけれども、細くて長い人生、その中からも最高の生き方というものを見つけることができるという実感を得ました。

もうひとつ、そうしたいという、自然に心から出てきたものですが、九州にAさんという方がいらっしゃいます。『もはやこれまで』の体験記の中にも書かれていますが、中皮腫と診断された後に、赤ちゃんを出産された方ですが、二人目を授かったそうです。それで前回もそうだったのですが、今回もまた主治医からは堕ろすようにと勧めらました。でもご本人は生む決意をされまして、これは非常に大きな励まし、喜びです。私はそれを聞いたときに、本当に生まれてくる子どもを抱っこしてあげたいと思ったのです。

予定日が7月中旬で、今からだったら3ヶ月。このことを聞いたのが1ヶ月ぐらい前ですから、あと4ヶ月かと思ったときに、いま僕のこの状態で4ヶ月って結構長いのですよ。いけるかな、どうかなと思いましたけども、ああ、このギフトもぜひ頂きたい、という表現は変ですけども、このギフトも絶対に頂きたいと思いました。

それで7月に生まれてくる子どもを抱っこするためには、8月までは生きているぐらいの体力が無ければ抱っこできないだろうということを考えて、一応、8月をひとつの目標にしてみたいと思いました。

中皮腫患者としてこの1年間で感じた心の変遷

それでただ単にぼーっとしていたら、やっぱりこれ、ミッションがクリアできないと思いましたので、いろいろ方策を考えました。例えば入院をするとか、あとは介護してもらうとか、身体障害者の申請をするとか、そうした世の中にある様々なサービスを使って、1日でも長く生きるということを今、考えています。

それで今、ブログ見てらっしゃる方、ご存じだと思いますが、今日は33日目の入院ですけれども、実はこの入院もたまたま運が良かったのです。体調がすごい悪かったので、入院させてもらったのですが、入院して2日目に不整脈になって、3日目にも不整脈になって、4日目にまた下血したのですね。私は千葉県に住んでいるので、もし千葉県で下血していたら、どうなったのだろうという感じです。例えば下血して、どうのこうのなんてやっている間に、もしかしたら死んじゃった可能性もあるのです。これも本当、たまたま運良く、とても良いタイミングで、ここも何か延命の橋を渡ることができたなという感じです。

私自身この1年間で感じた心の変遷というのが、「太くて短い人生」にわりと長いあいだ固執していましたけど、へろへろの状態で生きていたとしても、やはりそこから人生の喜びとか、周りの人の支えとか、そういったものから様々な幸福感を得ることができると体感させて頂いた1年です。

中皮腫特有の困難について

次に2番目の項目として、中皮腫特有の困難についてお話したいと思います。これは20年前から、患者、家族、遺族たちとずっと交わってきて感じてきたもののひとつです。

通常、中皮腫と診断されたらどう思うか。患者の皆さんはもうよくご存じだと思います。人それぞれ違うので一概には言えませんけれども、普通の癌患者と同様、ショックを受けますね。ずっと精神的に安定していた状態から、こう、がくーんと落ちる、まったくどうしようもない精神状態になると思います。困惑します。これは普通の癌患者と同じです。

ところが中皮腫について調べ始めると、中皮腫はまず治癒しないと言われています。ここまで言うと身も蓋もないので、治癒しにくいと言ったほうがいいですかね。そして予後が悪い。寿命が非常に短いとか、あと、苦しい。普通の癌よりも酷いと言われています。

そして更に調べていくと、石綿が原因である、ということを知ります。そうすると、どこで吸ったんだろうか?多くの人は思い当たらないです。だいたい半分ぐらいの人は思い当たらないことが多いですね。そうするとやっぱり困惑します。

それで次のステップとして、国が国策としてアスベストを使っていた事実だとか、なかなか禁止しなかったという事実を知ることで、国の不作為を知ります。そして自分は被害者であるという強い被害者意識を持ち始めます。自分に非がないのに治らない疾患になる。その疾患は呼吸困難、痛みを伴う。患者をはじめ、家族や周りの人たちを巻き込んで、激しい怒りを生む。そうなると、病気そのものとの闘いの前に、被害者意識に押しつぶされてしまうといった可能性もあります。

やはり、いつまでも自分が被害者なんだというところで止まってしまう人もいるのです。だからとにかく激しい怒りだけが残ってしまい、療養に力が入らなくなってしまう。

中皮腫に「負けた」という気持ち

胸膜中皮腫ですけども、標準治療はアリムタ+シスプラチン、あとはオプジーボ、あとはいろいろな抗がん剤をブレンドして使うといった程度でしょうか。それから放射線、外科手術、先生の経験知などを利用した治療がすすめられています。

結局、さっきも言ったように、中皮腫ってなかなか治癒しないと言われている病気で、こうした治療の奏功率は20%から30%です。だから治療しても治らないという人が多くいる訳ですね。

ところが、やはり治りたいという気持ちが非常に強いために、検査結果に一喜一憂する。時にはですね、やはり検査結果がうまくいかない。もう亡くなってしまうという状況下に入ったときに、その「敗北した」という考え方ですかね。「負けた」という気持ちになってしまうということもあります。人間、いつか死にますからね、必ず。どういう死の形になるかは分からないですけども。ただ、その中皮腫で死ぬということが、敗北という考え方になってしまうのは、これはやっぱりどこかに、ゆがみがあるといつも感じています。強い被害者意識、先ほどの自分は被害者だという強い意識が、その死を迎えたときに、自分は敗北してしまった、というような心持ちを持たせるのではないかと私は個人的に感じています。

中皮腫患者として目標設定を二段構え、三段構えで

そういった意味で、私たちが中皮腫患者として人生の様々な目標設定、治療の目標設定、生活の目標設定をしていく時に、いろいろな工夫が必要だと思っています。

人によって優先順位が違いますけれども、例えば治すということをまず一番目に持ってきて、治すということだけに頑なになってしまうと、治らなかったら負けです。もうそこで終わりです。治療をして、CTとか血液検査の検査結果を見て、それが望ましい検査結果でないと、すごい落胆しますよね。そして治療が打ち切られたとなったら、もう完全に袋小路に入って、もうおしまいだ、となってしまいます。

ですから、目標設定をするときには、1個だけ目標設定するのは非常に危険です。ですからまず優先順位としては治すということを決めたときに、もう二段構え、三段構えで目標設定をしていくと良いと思います。

例えば二番目としては、仮に治らなくても、満足できる生き方をしておくという目標は良いかも知れません。治らなくても満足できる生き方。私がいつも思っているのは「今を懸命に生きる」「自分のやりたいことをやる」。様々な自己決定のプロセスの中に、自分の考え、自分がこうしたいというものを入れることで、どんな結果になっても自分が選んだことですから、大きな後悔をすることはまず無いと思っています。

ですから、こういった自己決定のプロセスの中に、自分はどうしたいのかということをぜひ入れて、二段構え、三段構えで目標設定して頂ければと思います。私は「柔よく剛を制する」ということで、1つのことを絶対こうだというふうに決めないで、違う状況が入ってきたら、それをかわす、しなやかさをもってやっていくことが良いと思います。

中皮腫患者どうしの交流を深めていく

私は中皮腫サポートキャラバン隊の活動をしていますけれど、皆さんの人生の中でも様々な選択肢がありますから、それぞれのいろいろな出来事があると思いますけども、ぜひその中にキャラバン隊の活動というのをひとつ入れて頂きたいと思っています。

このキャラバン隊の活動にみなさんが協力して頂くときに、どういうところを楽しんで頂きたいかということですが、まずは恩恵を実感して頂きたいと思っています。

ピアサポートの訪問や集まり、電話、メール、スカイプ。こうしたものを、いま私たちは実施しています。今日の集まりもそうですね。患者さんが15人集まっていますから、こういった集まりを通して、患者さんたちの交流を深めて頂きたいと思いますし、様々な悩み、疑問、そうったものをぶつけて、これからの役に立てて頂きたいと思っています。

また、中皮腫ポータルサイトを通して最新情報などを流していますので、そこからも情報を得て頂きたいと思います。

新しい治療情報、社会保障、そうしたものにどんなものがあるのか、またはどう手続きすればいいのか。そうしたことも私たちは調べていますので、質問を頂ければ、お手伝いもさせて頂きたいと思っています。

中皮腫患者として課題の現実的、実際的な解決を目指す

あとキャラバン隊の活動では、国といろいろな交渉をこれからもしていきます。患者と家族の会の中で活動していたときも、去年の中皮腫100人集会など行いましたし、また個別に厚生労働省などに行って話し合ってきましたけれども、引き続きこの活動をしていきます。

それでですね、これはもう20年前から本当に感じていますが、国とやりあうときも、未来志向で取りかかって頂きたいといつも思っています。もちろんこれまでの不作為の責任というのは、これはきっちり取って頂きたいと思います。生活の保障、これは救済法の給付金をあげるとか、通院費とか、いろいろあります。そして医療の研究開発。また各種社会保障制度の優先的な対応。例えば介護。通常、介護を申請すると1ヶ月半とか2ヶ月とか時間かかります。だけど中皮腫患者は急に調子が悪くなるので、もう少し優先的に、すぐに使えるという対応とか。そういった不作為の責任はきっちり取ってもらいたいと思います。

一方で絶対にやっちゃいけないなと思うのは、石綿問題の追及で強い怒りがあります。これは本当によくわかります。親兄弟や子ども等、いろいろ亡くしてきている。そして苦しい状況で亡くなっている状況を見ていますので、それは文句のひとつも言いたくなるというのはありますけれども、単なる感情のはけ口として文句を言い続けないように気を付けていきたいと思います。課題の現実的、実際的な解決、こうした方向に向かって話をしていく必要があるのだと思います。

中皮腫患者として自分自身が道標になる

それからキャラバン隊の活動を皆さんにも本当にお手伝いして頂きたいと思っています。特に患者の方。皆さん自身が道標となって頂きたいというふうに思っています。

私が右田さんとこの活動を始めたのは、この「道標」になるということが主要な目的です。要は自分の持つ経験、それは何でもいい。どういう感情だったか、またどういう手続を経て社会保障なり医療の保障なり治療方法なりを得てきたのか。自分自身の経験もそうですし、他の人から聞くのもそうですし、そうした知識がストックされていきます。そうしたストックを使うことで、僕らが1年かけてやったこと、それが道標となって情報としてきっちりとすれば、1ヶ月でそこに到達することができるかもしれません。

ですから、こうした道標となるために、これから何らかの形で治療、感情の変遷、療養生活の実際的な問題と知恵を、何らかの形で残して頂きたいと思っています。

私たちキャラバン隊としては、例えば書籍を作る、ポータルサイトに体験談を載せるとか、あとブログを書くとか、そういった様々な形で残していくように努力しております。

また、今日みたいに集まって頂くというのも本当に感謝すべきことです。こうやって集まることで、今日もマスコミの方が来て下さっていますけれども、やはりニュースになったりすると、こういったキャラバン隊活動、中皮腫という病名、こうしたものが周知されますから、それは大きな貢献だと思っています。ですからこれからもできる範囲で、キャラバン隊のメンバー、またサポーターとしてご協力頂ければと思います。

1995年から24年経っていますけれども、約2万人の中皮腫患者さんが亡くなっています。私たちが現時点で受けている恩恵、社会保障、医療研究開発、患者会などの集まり。こうしたものはこの2万人の人たちの屍の上に立っている。その人たちの死というのは、何らかの形で役に立っている、というふうに感じています。

ですから、私たちひとりひとりも、闘病生活とか本当に大変で本当に苦しい毎日を送っている、それは本当によくわかります。ただ、それでも自分のためだけに生きるのではなくて、他の人たち、特にこれからの中皮腫患者の人たちを助けるために、何らかのご協力をお願いしたいと思っています。

中皮腫サポートキャラバン隊の成長期、収穫の果実

最後にまとめになりますけれども、2017年9月にキャラバン隊はスタートしました。当時「7本の矢」という目標をもって全国展開しました。これはいわば種まきをずっとしていた期間のようなものです。

そして現在は成長期だと思っています。2018年12月にキャラバン隊が独立しましたが、独立前の半年間ぐらいは、いろいろな問題にもまれました。キャラバン隊活動の是非についていろいろ語られて、本当に大変な思いをした人たちも多くいました。ただ、その諸問題にもまれることで、キャラバン隊の活動に真摯に協力してくれる患者、家族、遺族、支援の人たちがすごい明確になりました。いまキャラバン隊に協力している人たちは、この活動に積極的に参加してくれています。まさにこの成長期、「7本の矢」が拡大して、深みを増して、広がっているという状況を、私たちは今、見ているところだと思っています。

それでたぶん、これから収穫期を迎えることになります。どんな果実がなり、どういうふうに収穫するか。それは今の時点では分かりません。ただ、私と右田さんは、今後、成長期、収穫期を見ることはないかも知れません。まあ、右田さんまで巻き込むのは申し訳ないかなとは思うけど。しかし長期に生きる患者さんやご家族、ご遺族、そして支援の皆さんは、これからもキャラバン隊を見守って頂ける可能性が非常に高いと思います。今後このキャラバン隊がどういうふうに成長していくのか。そして収穫期にどんな形で実がなって、そしてその実を収穫していくかを見守って頂きたいと思います。

そういった意味で、今後の中皮腫サポートキャラバン隊の活動を皆さんに支えて頂けるよう、お願いしたいと思います。今日はどうもご静聴ありがとうございました。