造船所内の経理事務作業でアスベストばく露し胸膜中皮腫発症の労災認定事例:岡山・兵庫・千葉の造船所内でのばく露原因
公開日:2020年7月18日
アスベストばく露によって、中皮腫や石綿肺がんなどのアスベスト関連疾患を発症しますが、アスベストばく露の実態について十分に認識されていない方も一定数います。石綿吹き付け作業などの建設業に従事していた方は、代表的なアスベストばく露者ですが、一説によれば3000種類もの製品にアスベストが使用されてきた歴史的な経過から、ばく露の形態は無尽蔵にあります。石綿救済制度はもちろんですが、労災の可能性も十分にありますので検討をしていきましょう。
今回は、造船所内で経理事務の業務に従事し、胸膜中皮腫を発症され治療されたAさんの事例をみていきます。
目次
被災者の造船所内のアスベストばく露歴
被災者のAさんは昭和30年代中頃から昭和40年代中頃まで、三井造船玉野工場内に事務所を置くK社において経理事務の業務に従事していました。その後、約2年間はIHI石播工場内相生出張所で経理事務の他、工事見積や契約等の現場事務もおこなっていました。工事見積の際、マスクをせずに毎日のように機関室やボイラー室、船底の作業現場に立ち入っていました。
東京の事業所に移動後は月に数日程度、三井造船千葉事業所へ出張し、経理事務の業務に従事していました。船内には、機関室、エンジンルーム、ボイラー室など高熱になる機器があるために、壁には石綿が吹き付けられ、ボイラーの配管や高圧パイプの周囲に石綿が巻き付けられていました。Aさん以外の作業員には、塗装をするために壁面や機器の石綿を剥がして塗装作業をおこなっていることもありました。三井造船千葉事業所への出張時は、石綿が使われていた船内に立ち入ったり、作業時に石綿が付着していたと考えられる作業員と同じ事務所スペースで経理事務の業務に従事していました。
労災の認定にあたって東京・上野労働基準監督署は、三井造船千葉事業所での石綿ばく露しか認定しませんでしたが、三井造船玉野事業所や石川島播磨(現・IHI)相生事業所においてもAさんは船内に出入りしていたことはもちろん、事業所全体のホコリの量がすごかったことを憶えていました。
造船業で広がるアスベスト被害
造船および、船内等での修理作業については、アスベスト被害の中では建設業についで被害を多く出している業種です。一般的に船内では、鉄骨の石綿吹付材や隔壁の石綿含有ボード、配管やボイラーに使用された石綿含有保温材などが使用されてきました。英国の造船所を対象にした1970年当時の研究では、船底のアスベスト関連作業で石綿が飛散して、船内上部にも粉じんが流れていき、直接石綿ばく露作業をしていない労働者も石綿ばく露をしてしまう実態が明らかになっています。
日本で、石綿被害が代表的に発生している造船所は、三菱重工業・長崎造船所、石川島播磨重工業(現・IHI)・呉造船所、三井造船・玉野造船所、三菱重工業および川崎重工業・神戸造船所、住友重機工業・横須賀造船所、米軍横須賀基地などがあります。
1948年に三菱重工横浜造船所に入社された元労働者の証言として次のようなものもあります。
その頃は軍の船だから電気室とかとエンジン室は密閉されてんだよ。出入り口が一つしかない。だから、隣の部屋に行くには垂直のタラップを上がってまた隣のハッチから降りて行くような感じで、環境は悪いし、船の中は熱いところはパイプにアスベストが巻いてあって、ボイラーとかに作業に入ると、粉じんの出場所がないから粉じんがもうもうとしているわけ。
出典:神奈川労災職業病センター インタビュー 三菱重工横浜造船所元従業員 吉村宏さん
造船所の周辺にも広がるアスベスト被害
岡山労災病院の岸本卓巳医師の研究によれば、呉共済病院と国立呉病院(現・呉医療センター)での、1977年から93年にかけて中皮腫と診断された31人のうち、12名は戦前・戦中の海軍工廠での軍艦建造に関わる被害であったが、中には造船所から500メートル以内に居住していた主婦の中皮腫被害もあったことが確認されています。この主婦も家族もアスベストを扱う作業には一切従事していなかったことから、造船所から大気中に飛散したアスベストばく露が原因と考えられています。
参考
・大島秀利(2011)『アスベスト 広がる被害』岩波書店(岩波新書)