埼玉県本庄市と春日部市へ・装具の費用と労災保険の可能性

ブログ仲間のCさんが「骨に腫瘍が転移して歩けない状況で入院した」と連絡を受けて、今すぐにでもお見舞いに行こうと思いましたが、関東地方なので、先日東京での打ち合わせがあったので、その帰りに行こうと予定しました。すると『患者と家族の会』の副会長の松島さんから「Tさんが会いたがっているから来てください」というお声をいただきました。Tさんは今年1月10日に一緒に厚労省へ「オプジーボ早期承認申請」を出した方です。Cさんとは近隣県ということで同じ日に面会に行くことにしました。

最初に伺ったのはTさんのお宅で、Tさんは一時退院されてご自宅で私達が到着するのを待っておられました。お会いした第一印象が前回の入院時にお見舞いに行った時より体重も増えて、食欲も少し戻り顔色も良くて艶がありました。Tさんとお会いするのは今回で4回目なのですが、前回のお見舞いの時と違って一目見て体調が優れて来たことが伺えました。

Tさんはオプジーボをいざ始めようとした時に、不幸にも右腕が骨折してしまい、オプジーボが延期になっていたのですが、その骨折も治り無事にオプジーボを開始して4クールを終えた頃に、腎機能の低下により現在は中断中だそうです。また、食道の横の胸膜が分厚くなって、食道の通りを圧迫していることから年明けから放射線治療をしたいと主治医に言われ、また放射線治療をしなければいずれ胃ろうすることになると言われてかなり落ち込んでいました。しかし、私達と話しているうちに気持ちが晴れたようで、最近は食欲も出てきていることで顔色も良くなっていていたので、オプジーボが早く再開できるように、腎機能の回復を待ちましょうと励ましながら談笑しました。

帰る頃には笑顔で話されていたので良かったです。最後には皆んなで和やかに記念撮影して帰りました。

その後、本庄市を後にして、松島さんの運転する車で私達は次の目的地『クレヨンしんちゃん』の住んでいるあの春日部市に向かいました。途中サービスエリアでトイレ休憩した時は午後4時を回っていましたので急いでCさんが待つ春日部市に向かいました。

目的地の春日部市に到着したのは午後6時でした。病院で入院中のCさんはもう夕飯時だろうと心配しながらも病室に伺いました。

最初にCさんを見た時、ハッとしました。そこには首から背中にかけてコルセットで固定されてベッドに寝ているCさんがいました。気丈にも彼女は私の姿を見た瞬間、隣にいた娘さんの介助で起き上がり笑顔で迎えて下さいました。

実はCさん、脊椎に腫瘍が巻き付いて浸潤し神経や骨に圧迫し、下手に動かせばすぐに骨折してしまったり、手足が痺れてくることから脊椎から背骨をカバーするコルセットを巻いていました。それでもCさんは車いすに乗って談話室に案内してくれました。そこでお話しすると、Cさんは現在たくさんの問題を抱えていることを告白され、来て良かったと改めて思いました。

実はCさんの妹さんも胸膜中皮腫と病院で診断されたのですが、環境再生保全機構に救済法の適用申請をしたのですが、最近却下されて再度出し直しを検討していたそうです。これは個人でやれば大変な労力ですので、是非とも一緒に行った松島さんに頼んで、安全センターの方に協力してもらえるようにお願いしました。Cさんに至ってはコルセットの装着具も保険適用ながら自腹で支払っているのでこれは医療費免除に入らないのか聞きたいと言っていました。この脊椎に異常を感じた時、形成外科へ診察に行ったのですがそれも自腹だったことから、それも環境再生保全機構へ請求していいのかどうか教えて欲しい。そして病院でゆっくり考えると自身環境ばく露だと決め付けていた可能性があり、実は若い頃数年間建築会社や配管会社で働いていた経緯も思い当たる節が出てきたので、労災申請をしようかと悩んでいたそうです。もちろん、同席された松島さんに頼んで、後日早急に安全センターの担当者を連れて行っていただけるようにお願いしました。もちろん、帰ってから私からも安全センターの方に連絡をして対処していただくようにお願いしました。

そんなこんなで治療のことや不安など話し込んだら既に午後7時を回っていましたので、これ以上遅くなったら、Cさんにも悪いのでもっと話したかったのですが笑顔も見れましたし、新幹線の時間も気になりましたので、帰路に着きました。

私たちの活動はピアサポートとして、患者さんの悩みを聞いたり、励まし合ったりもしますが、今必要な方と繋げるのも私たちの責務だと思っています。私たちは適当なことや間違ったことは言えません。ですから、専門家の助言が必要な時はそちらと繋げることも大事な務めだと思っています。